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zoom RSS 三島由紀夫の内的風景

<<   作成日時 : 2007/08/13 18:06   >>

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 2007年8月13日
 第10回

 「荒野」からの声  (その9)

 既に一度引用したが、あの「荒野」に「又いつか再び、訪れなければならぬことを知ってゐる」とは何を意味しているのだろう。私には、『荒野より』全体の中で、この箇所が最も謎めいて感じられる。見方を変えると、この箇所が、三島が一番「本当のこと」を記した部分かも知れず、三島自身そのことを意識しながら書いたのではないか、とも私は思う。
 いつか再び訪れたとしても、又してもそこから脱出し、何食わぬ顔をして今までいた「都会」に復帰することが到底不可能なことは、三島が一番分かっていただろう。
 「いつか再び訪れなければならないことを知っている荒野」とは、ひどく飛躍した言い回しに聞こえるかもしれないが、最終的には死を意味しているのではないかと私には思えて仕方がない。
 もう死ぬことによってしか訪れることができない「荒野」。青年がそこから来た、三島自身かつて訪れたことがある「荒野」も、そこから逃れたどり着いたつもりの「都会」も、それぞれ別種ながら共に荒野であることを、三島は芯から見て取ってしまった。
 どこでどう暮らそうが、人が生きるこの世界は、極みまで見てしまえば総て荒野なのだ。それなら、あるがままの己の性の指向を素直に受け入れて生きるあの「荒野」の方が、まだしも人の生に値するのではないか。しかし、もはや死によってしか、その「荒野」に復帰することは叶わないし、それ以外の形では復帰したいとも思わないことが、三島にはよく見えている。
「荒野」の行き着く極まりとしての死。自己への最大な懲罰であると同時に、自己の究極的な救済としての死。
 

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