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zoom RSS 長谷川サダオの大きな絵画、来(きた)る。

<<   作成日時 : 2007/11/24 02:33   >>

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画像
 長谷川サダオ(静岡県生まれ。1999年死去)の大きな作品を、「荻崎正広コレクション ゲイ・アートの家」で所蔵することになりました。(右手の画像を参照してください。縦97cm 横162cm。画像は原画の全体ではありません)

 キャンバスにアクリルで描かれています。原画にタイトルは付されていなかったので、私(荻崎)の判断で一応、「紺の夜の休らう肌身」としました。 作品の右下に、作者の手で1976と書かれているので、制作年代が分かります。2007年の現在からは、31年前の作品ということになります。
 この原画を以前から時折眼にする機会もあって、私は強く惹かれていました。ひょっとすると、いつか私が所蔵することになるのかなと、たいした根拠もなく思うこともあり、やや大げさですが運命的なものも覚えます。
 薔薇族編集長の伊藤文学氏の話では、かつて新宿にあった談話室「祭」に掛けるために、作者に依頼したということです。「祭」は、「薔薇族」創刊5周年を記念して、1976年5月にオープンしています。
 この作品はその「祭」の壁を、何年間だったかは分かりませんが、ある期間飾っていたことになります。「薔薇族」1977年7月号の表紙の次に見開きで、この絵とその前で絵の中の若者とほぼ同じポーズをした男の写真が載っています。
 1976年に描かれたということは、作者の恐らく30代初め頃の作で、比較的初期に属する作品だと思われます。作品の物理的な大きさという点では、私の知る範囲では、長谷川サダオの作品群のみならず、日本のゲイ・アート全体の中でも、随一の気がします。
 しかも、単にサイズが大きいというだけでなく、様々な異論があることを承知で言えば、私の眼には、この作品は長谷川サダオの最高傑作であると同時に、現在までに到達した日本のゲイ・アート総体の中でも最高度に位置する作品のように思えます。 いずれにしても、ゲイ・アートの世界の記念碑的な作品の一つであることは間違いないところでしょう。更に、ゲイ・アートという枠を超えて、優れた一美術作品として、いずれ少しずつ評価が高まっていくだろうという予感もします。他の長谷川作品も含めてですが。
 作品の中身を見ると、上記の談話室「祭」に掛けるという要請に答えるように、祭りに加わった若者が、その途中なのか後なのか、疲れた体を休めているという設定に見えます。褐色の伸びやかに息づく裸身。頭のねじり鉢巻と白い褌。体の脇に置かれたひょっとこの面。
 殊に、包む陰部をなぞるように盛り上がる褌や、くっきりと割れる腹筋などの描写には、作者の丹念で細密な高い技がよく現れていると私には思えます。
 しかし、画面を更によく見ると、この作品が、単純に祭りに参加した若者の裸身を描いている訳ではないことが、否応(いやおう)もなく分かります。若者の肢体は紙に描かれているという設定になっていて、しかもその赤の地の紙はまくれたり、一部は破れたりしています。左上の破れは若者の右肩口や首の上部にまで達しています。左手のまくれた紙の上には、一匹の蝶まで留まっています。
 しかも、その地の紙の向こうには、白い三日月(それとも七日月?)が掛かった紺色の夜空が広がり、月を挟むように桜に見える花枝が伸びています。夜空の下には、海だろうか、紺色を濃くした広がりがあり、更にその下にもう一段紺(或いは藍)を濃くした、森を思わせる広がりが描かれています。作品全体は、言わば、二重構造になっていると言えるでしょう。
 私には、この現実の世界とは異なる、どこかに存在する筈のもう一つ別の世界へと惹きつけられる作者の心性が濃く現れていると思えます。「薔薇族」1977年1月号に、「長谷川サダオの世界 エル・ドラード憧憬」というページがあります。その中に、この作品といくつか共通点が見出される黄色の地の作品が、見開きで載っています。(私はこの原画は見ていません)。
 エル・ドラードとは、作者本人の言葉によれば「黄金境」、一種のユートピアという意味だということです。
 長谷川サダオは、旅先のタイで自ら命を絶ちました。他者の死をあれこれ推測しようという思い上がったつもりはないのですが、もう描きたいものは総て描いた、この現実の世界に止(とど)まる意味はないと、或いは思ったのでしょうか。どこかにある筈のもう一つの世界、死の世界とも親近した「エル・ドラード」に早く行きたいとひょっとして考えたのでしょうか。
 長谷川サダオほど豊かな力量に恵まれていたにもかかわらず、というか、だからこそゲイ・アートの世界の有り様とその限界が、より鋭利にくっきりと見えてしまったのでしょうか。
 私が所蔵することになった作品を前にすると、無理やり作者の死と結び付けようという気持ちはない筈が、一面、痛々しい思いがするのも確かです。
彼が没してから8年ほど経った現在、ゲイ・アートの世界は、と同時にゲイの世界は少しは望ましい方向に進んだでしょうか。
 長谷川サダオの作品が、今後、より広く深く認識され評価されていくことに、ほんの少しでも寄与できたらと私は思います。
 
 「荻崎正広コレクション ゲイ・アートの家」では、長谷川作品を、上記以外に三作品所蔵しています。
 又、長谷川サダオの画集「楽園幻視」(1996年 コチスタジオ刊)と、1990年にイギリスで刊行された「SADAO HASEGAWA paintings and drawings」も所持しています。
 是非お越しください。                     
(2007.11.25 改稿)         (第40回)

「長谷川サダオ彷徨(ほうこう)」(2016.6.11より)も参照していただけたらと思います。
     (2016.6.20)

                                

 


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