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zoom RSS 『蟹工船』とゲイ・エロス

<<   作成日時 : 2009/02/19 01:33   >>

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画像小林多喜二(1903(明治36)年〜1933(昭和8)年)の代表作『蟹工船』(1929(昭和4)年作)が改めて読まれ、話題を集めているようだ。現代の派遣労働者などの置かれた劣悪な状況とも重なり合い、80年ほども以前に書かれた小説が、切実な緊迫感を伴って、多くの人々に語りかけるのだろう。
 私がこの作品を最初に読んだのは、確かな記憶はないが、20代の大学生の時だったと思う。昭和40年代、おおよそ1970年前後の頃だったか。1945年生まれの私にとって、もう40年程も昔のことになる。画像も載せたが、確か新潮文庫で、『党生活者』(1932(昭和7)年作)と合わせて読んだ。
 『蟹工船』が日本のプロレタリア文学を代表する象徴的な作品であり、また大学が札幌(北海道大学)にあり、作品の舞台とつながりが濃いということなどが、私がこの作品を読んでみようと思った主(おも)な動機だったかもしれない。ちなみに、作者小林多喜二は小樽高商の卒業である。
 更に付け加えると、本などに載る作者の顔に対し、私が悪い印象を持たなかったことも、読もうというきっかけの一つだったかもしれない(笑)。
 読後、一つの映像が私の中に残った。他はすべて忘れ去ったが、そのただ一つの映像だけが、それから40年程も後の現在まで、消え去ることなく、見え隠れしながら私の中に仕舞われてきた。
 青白い月光が射す蟹工船の甲板の上で、二人の男が真裸で絡み合っている。20代位の若い男と30から40代位の壮年の男だった。男たちは上になり下になりながら、互いの裸身を飢えた獣めいて貪(むさぼ)り合う。月の光が、男たちの肌身を所々ほの白く浮かび上がらせる・・・。
 そういう映像だった。私にとって『蟹工船』とはこの映像そのものだった。ちなみに同時に読んだはずの『党生活者』はきれいさっぱり忘れてしまった。
 40年程経た2009年、63歳になった私は改めて両作品を読んだ。大学時代に読んだ新潮文庫を探し出せなかったので、同文庫を書店で購入した。再読して分かったのは、『蟹工船』を最初に読んだことで出来上がった上記の私の映像が、いかに原作とは異なっていたかということだった。自分ながら拍子抜けするような、呆気(あっけ)にとられる感がした。
 過労で心臓を悪くした一人の漁夫が、夜眠れないために、甲板に上がり、置かれた網と網の間に誰かがいると気付く場面だった。少し長くなるがその場面を原文のまま引用しよう。
「漁夫の目が慣れてくると、それが分ってきた。十四、五の雑夫に漁夫が何か云っているのだった。何を話しているのかは分らなかった。後向きになっている雑夫は時々イヤ、イヤをしている子供のように、すねているように、向きを変えていた。それにつれて、漁夫もその通り向きをかえた。それが少しの間続いた。漁夫は思わず(そんな風だった。)高い声を出した。が、すぐ低く、早口に何か云った。と、いきなり雑夫を抱きすくめてしまった。喧嘩(けんか)だナ、と思った。着物で口を抑えられた「むふ、むふ・・・」という息声だけが、一寸(ちょっと)の間聞こえていた。然し、そのまゝ動かなくなった。―その瞬間だった。柔らかい靄の中に、雑夫の二本の足がローソクのように浮かんだ。下半分が、すっかり裸になってしまっている。それから雑夫はそのまゝしゃがんだ。と、その上に、漁夫が蟇(がま)のように覆(おお)いかぶさった。それだけが「眼の前」で、短かい―グッと咽喉(のど)につかえる瞬間に行われた。見ていた漁夫は、思わず眼をそらした。酔わされたような、撲(な)ぐられたような興奮をワクワクと感じた。」(P.56)
 この場面が私の中で上記のような映像に変形され、長い間保存されてきたのだった。引用した最後の「酔わされたような、撲(な)ぐられたような興奮をワクワクと感じた」の部分に、かすかに上記の映像に通じるものを今の私は感じ取る。加えて、この光景を目撃している漁夫に仮託した作者の、どこかしら吸い寄せられているような感覚も伝わってくる。
 ついでに『蟹工船』の中で、男同士の性的な交わりに触れた他の箇所を引用してみよう。
「「こんだ親父(おど)抱いて寝てやるど。」―漁夫がベラベラ笑った。」(P.10)
「―それから、雑夫の方へ「夜這(よば)い」が始まった。バットをキャラメルに換えて、ポケットに二つ三つ入れると、ハッチを出て行った。便所臭い、漬物樽(つけものだる)の積まさっている物置きを、コックが開けると、薄暗い、ムッとする中から、いきなり横ッ面(つら)でもなぐられるように、怒鳴られた。
「閉めろッ!今、入ってくると、この野郎、タゝキ殺すぞ!」」(P.58)
「「さ、親父(おど)のどこさ来い。」雑夫が、漁夫、船員の間に、引張り凧(だこ)なった。「安坐さ抱いて見せてやるからな。」「危い、危い!俺のどこさ来いてば。」それがガヤガヤしばらく続いた。」(P.87)
 P.56も含め、これらの箇所はすべて、相手は少年である雑夫で、漁夫や船員など大人同士の絡みはない。女のいない閉ざされた空間の中で、雑夫が女の代用として大人たちの性の対象になっているという設定だ。
 漁夫や船員など一人一人の性の深層に踏み入れば、必ずしも女の代わりとしてではなく、あくまで男としての雑夫を欲したという場合もあったかもしれないが、とりあえずそれは置いておこう。作者もそこまでは踏み込んでいない。
 付け加えると、私の知見が乏しいせいかもしれないが、『蟹工船』のこれらの箇所を取り上げて論評した文章を私は読んだことがない。もしこれまで誰も取り上げていないとすると、論者や読者の多数を占める異性愛者には、こんな特殊な環境に中での性の姿は論じるに足りないと見なされるからなのだろう。
 
 引用したP.56の場面が、なぜ私の中で上記のような映像に変形し、ずっと仕舞われて来たのか、今、改めて私は考えてみた。
 私が最初に『蟹工船』を読んだと思われる1970年前後の頃、(男性)同性愛に関する情報はごく乏しかった。どうごまかしようもなく、好ましい男の体に、根こそぎにされるように強く惹かれるものの、どうしたら、どこへいったら現実に相手を見つけられるのか。閉ざされた闇の中にいる感があった。例えば、1971(昭和46)年に創刊された「薔薇族」もまだ刊行されていなかった頃かもしれない。
 その当時、日本の近代文学で、男同士の性愛が描かれているものとして私が思い付くのは、森鴎外(1862〜1922)「ヰタ・セクスアリス」、三島由紀夫(1925〜1970)「仮面の告白」、「禁色」、福永武彦(1918〜1979)「草の花」ぐらいだったと思う。これらを全部『蟹工船』を読む以前に読んでいたかどうか確かではないが。
 これらの作品のどちらかというと観念性の強い描写に対し、『蟹工船』は写実的で生々しかった。まずその点で、私の記憶や印象に強く作用したのだろう。 原作と明らかに異なる形で記憶されるようになったのは、現実の体験の乏しかった当時の私の、男同士の性愛に対する願望や渇望が色濃く反映したからだろう。あの映像は、いわば私のゲイ・エロスの原風景の有力な一つとなって、その後40年近く、消失することなく保存されたのだった。映像の中に登場する漁夫の一人と自分を一体化させながら。
更に、もう少し考えると、唐突(とうとつ)に響くかもしれないが、あの映像は私にとって生きていく拠(よ)り所の一つでもあった。さまざまな名目を陰に陽に振りかざし、一個の生身の人間に圧力をかけ、無理やりにでも従わせようとする現実の状況に対し、あの映像は、少し恰好をつけて言うと、私にとって対抗する拠点の大事な一つだったと思う。
 小林多喜二の生きていた時代と重ねると、例えば、国家のために、天皇のために、戦争(軍隊)のためになどの名目で、個人の存在は軽視され、時に抑圧された。と同時に、作者が関わったそれらに対抗する形の、プロレタリアート(労働者階級、無産者階級)のためにとか、革命のためになどの名目の中にも、同様な構造があったと思う。
 ちなみに、作者は1930(昭和5)年、『蟹工船』に関連して、不敬罪の追起訴を受けたという。(「小林多喜二と『蟹工船』」の中の「小林多喜二略年譜」による。 河出書房新社 2008年9月刊)
『蟹工船』の中に、「天皇陛下は雲の上にいるから、俺達にャどうでもいゝんだけど、浅(監督の浅川…筆者注)ってなれば、どっこいそうはいかないからな。」(P.28)という箇所がある。他には天皇に触れた記述はないはずだから、この箇所が問題にされたのだろう。漁夫同士のごく日常的な会話と思える部分が、当時は天皇に対して不敬だと判断されたのだ。
 作者は1933(昭和8)年(30歳)に、築地署特高に逮捕された。同署での警視庁特高による拷問の末、死去した。(前出「小林多喜二略年譜」による)
 正視できないくらい惨(むご)たらしく痛ましい。『蟹工船』の中の天皇に関する記述も口実にされ、拷問に拍車がかかったのではと私は想像する。
 ただ、私は、恐らく作者が抱(いだ)いていただろう、プロレタリアートや革命や党(共産党)のために個人は時に犠牲になっても止むを得ないという思いも、彼の死の遠因の一つだったのではと思えて仕方がない。彼を誹謗(ひぼう)する意図は私にはまったくないが。
例えば『党生活者』の中の「彼奴は個人主義者で、敗北主義者で、そして裏切り者だ。(中略)私たちはこうして、敵のパイ(スパイの意か…筆者注)共からばかりでなく、味方のうちの「腐った分子」によっても、十字火を浴びせられる。」(P.185)や、「そして一旦(いったん)つかまったら四年五年という牢獄(ろうごく)が待ちかまえているわけだ。然しながら、これらの犠牲と云っても、幾百万の労働者や貧農が日々の生活で行われている犠牲に比らべたら、それはものゝ数でもない。(中略)だから私は自分の犠牲も、この幾百万という大きな犠牲を解放するための不可欠な犠牲であると考えている。」(P.231〜232)などの表現に、私はそのような作者の考え方を直接間接に感じ取る。
 ちなみに、二度目に読んだ『党生活者』は、共産党に入党し、非合法活動に従事した作者の日常にほぼ即した展開と思え、作者が直接体験した世界ではない『蟹工船』とはまた違った現実的な怖さや戦慄(せんりつ)が、読んでいる私の肌の表を走り抜けるように伝わって来る。この作品を書いた翌年、小林多喜二は短い生を閉じた。

 21世紀の現在、前記のような往々に個人を抑圧する、広く捉えた権力的なものの姿は、かつて程あからさまではなくなり、薄まって、見えにくくなっているかもしれない。しかし私は、その基本的な構造はそう変わっていないのではとも思う。いわゆる「目的が手段を正当化する」という思考や行為の罠(わな)に人は捕らわれやすく、そこから抜け出すには、よほど意識的自覚的でないとそう容易ではないだろう。
 
 私は自分の体が、同じ性の男の体を心(しん)から激しく欲しがっていると分かった幼い少年の時から、63歳になった現在まで、ひたすら好ましい男の心身を求め続けてきた。やや誇張して言えば、その他のことはどうでもよかった。好みの男とひしひし絡み合い、快楽の極みへ、更に叶(かな)うならそこを越えて、どこかこの世ともかと言ってあの世とも異なる、しかし何かしら真の空(くう)や無につながるような、身も心も丸ごと蕩(とろ)けていく混じり気のない純正な領土にたどり着きたかった。これからも同じ道をたどり、やがて死へ自分を送り届けることになるだろう。
 他の、ことに多くの異性愛の人々の眼には、ずいぶん偏(かたよ)った貧しい生に或いは見えるかもしれない。ただ、私はこういう私の有り様(よう)を少しでも損ない妨害しようとするどんな名目も拒否してきた。これからもそうするだろう。
 繰り返しになるかもしれないが、 『蟹工船』を最初に読んだ時以降、私の中に仕舞われてきたあの映像は、そうした私の生の拠り所となる原風景の一つだった。
 他愛もない想像だが、仮に私が『蟹工船』の中の漁夫の一人だとする。この作品の中の最大の悪役である浅川(監督)が、もしも私の好みの顔と体の持ち主だったとしたら、私は喜んで浅川の前に跪(ひざまず)き、彼が応じてくれるなら、毎日でも尺八するに違いない(笑)。

 二度目に『蟹工船』を読んで私が気づいたことの一つは、比喩(ひゆ)(特に直喩)が頻繁(ひんぱん)に使われていることだった。
「宗谷(そうや)海峡に入った時は、三千噸(トン)に近いこの船が、しゃっくりにでも取りつかれたように、ギク、シャクし出した。」(P.22)
「(略)荒地は、肥えた黒猫の毛並のように豊饒な土地になって、間違なく、自分のものになってきた。」(P.70)
「寝る前に、漁夫達は垢でスルメのようにガバガバになったメリヤスやネルのシャツを脱いで、ストーヴの上に広げた。」(P.72)
「鱗形(うろこがた)に垢(あか)のついた身体全体は、まるで松の幹が転がっているようだった。」(P.101)
「まるで蚕に食われている桑の葉のように、俺達の身体が殺されているんだ。」(P.118)
 挙げると切りがないくらいだ。身近なものにたとえることで、情景や状態がありありと浮かび出て、なかなか効果的なものが多いように思う。作者も気に入って、してやったりと感じたものもかなりあったのではないか。そういう時の作者の稚気(と言ったら言い過ぎか)や心躍(おど)りを私は感じる。(一方、『党生活者』では、そうした類(たぐい)の比喩はまったくというくらい影を潜(ひそ)めてしまった)
 それから数年後、無残な死を遂げる小林多喜二に、創作や表現の喜びを味わえる時期もあったのだと思うと、何かしら私はほっとする。            (2009.2.19)                 

 

 

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
上記の文章を再読してみて、長らくご自身のなかに“保存”されていた映像の根幹を辿る、このたびの読書体験は、それを読むこちらにも“一個の生身の人間に圧力をかけ、無理やりにでも従わせようとする現実の状況に対し”、“対抗する拠点の大事な”ことに気づかせてくれました。
折しも、小林多喜二の「一九二八年三月十五日」を読み終え、そこで感じたことを拙作のうちに溶解させたあとでのことでした。
“「目的が手段を正当化する」という思考や行為の罠(わな)に人は捕らわれやすく”、、、ふと、社会に生きる人間が、自我を持った個人として他者に対しているのか、あるいは、社会というある種のイデオロギーに貫かれた一機構の、たんに一構成要素として他者に対しているのか、、、と、そんなことを考えました。
菫 太郎
2009/05/28 10:09
また、“真の空(くう)や無につながるような、身も心も丸ごと蕩(とろ)けていく混じり気のない純正な領土にたどり着きたかった”というのは、ご自身の創作活動における原動力となっている一文であると、お作を読ませていただきながら、そのことを理解しています。
ゆえに、“最大の悪役である浅川(監督)が、もしも私の好みの顔と体の持ち主だったとしたら、私は喜んで浅川の前に跪(ひざまず)き”、、、という、ある意味、危険な(「目的が手段を正当化する」)感慨は、でも、ご自身の“有り様(よう)を少しでも損ない妨害しようとするどんな名目も拒否してきた”という、そのお考えに即したものであると、納得させられます。
さて、こちらも、こんどの個人誌に寄せる作品を書き終え、上記にも書きました、“小林多喜二の「一九二八年三月十五日」を読み終え、そこで感じたことを拙作のうちに溶解させた”それ(掲載誌未定)も済ませたところで、いよいよ、編輯作業に突入します。
そんなわけで、原稿、愉しみにお待ちしています。
菫 太郎
2009/05/28 10:10

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