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zoom RSS 「児童ポルノ」の「単純所持」を処罰化することの非人間性について

<<   作成日時 : 2009/07/04 14:03   >>

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 今国会で「児童ポルノ禁止」法改正案が審議されているという。なかでも与党が提出している「単純所持」を処罰化することの持つ危険性を、私なりに改めて考えてみたい。
 当然ながら、人間の性愛にかかわる欲望や指向には様々な形がある。異性
に向かうか同性かを始め、対象年齢その他、皆それぞれに異なる欲望を抱えて生きている。
 生き物としての人間という観点からは、それぞれの欲望の形は、本来どれも自然であって、等価だろう。例えば、成人同士の異性愛が最も上位で優れていて、児童(少年、少女)を対象にするのは下位で劣っているなどということはない。人はほとんど誰しも、自らの意志で選んだ訳ではなく、何者かから与えられたそれぞれの欲望の形を、逃れようもなく背負って生きていくしかないのだ。
 例えば、児童(現行の「児童買春、児童ポルノ禁止法」(略称)」によれば、18才未満の者)にしか欲望を抱かない一人の男性の少年愛者を仮定してみよう。現行の「児童買春、児童ポルノ禁止法」や青少年健全育成条例などで少年との性行為を禁じられたうえに、「児童ポルノ」の「単純所持」まで禁じられるとなると、一人だけのごく私的な場面にまで法律に介入され、自らの性愛自体を否定されたと思うだろう。自己の存在そのものさえ否定されたと感じるかもしれない。
 国家や公の機関が、権力をもって、一個人の性的有りよう、ひいては存在自体を否定し処罰するなどという途方もないことが許されるはずはないのに・・・。
 仮に今回の改正案が国会で承認され、施行されたとする。更にそれでもまだ実効性が不足だと判断される事態になったとしよう。そうなると、児童を性愛の対象にする人間がこの社会に存在する事自体が問題だとされる時が来るかもしれない。様々な検査によって児童性愛者を見つけ出し、いまわしい存在として社会から隔離し、どこかに収容する・・・。そんな恐るべき時代が来ないとは断言できなくなるだろう。
 視点が変わるが、上記現行の「禁止法」の「児童ポルノ」の規定も恣意(しい)性が強く、児童の肌の一部が見えればポルノだという捉え方さえされかねない面がある。今回の改正案でも同様の規定のままだと仮定すると、やや誇張した言い方をすれば、日本人の誰もが、どの家庭もが、「児童ポルノ」の「単純所持」容疑で尋問されたり、家宅捜索されたり、検挙される可能性があることになる。
 もう一つ付け加えたい。現行の「禁止法」、改正案、青少年健全育成条例などの根底に横たわる考え方に対して、私は強い違和感を持っている。児童(中学生や、増して高校生世代なら尚のこと)も成人同様、本来、性愛の自由な主体だと私は考える。(多くの方は、自身のその年代を振りかえると、了解すると思う)(ずっと年少の場合は別として)
大人の一見「善意」な「保護」が、彼らの本来の性愛の有りようを歪ませ縛りつけていると私は思う。そちらのほうが問題が大きく深刻なのではなかろうか。(この問題については、また別の機会にもっと考えてみたい) 

 言うまでもないが、児童を強制的に、暴力的にポルノのモデルにするなどの行為は明らかに犯罪であって、当然防がなければならず、強く取り締まる必要があるだろう。そうした犯罪を対象にする法律を厳しく適用し、更にもしも必要なら、そうした法律を改正することでこれらの問題には対処するのが筋だと私は思う。

 以上、この問題について、私の思うところをあれこれつづってみました。表現が硬くなってしまった点はごめんなさい。共感するにしろ、反発するにしろ、お読みいただいたそれぞれの方の考える一助になればうれしいところです。
   (2009.7.4)





 
 
 
 

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