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zoom RSS 丹尾安典著『男色の景色』の豊かさ

<<   作成日時 : 2010/03/08 02:21   >>

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画像丹尾安典(たんお・やすのり)氏の『男色(なんしょく)の景色(けしき)』ーいはねばこそあれー を私は二度読んだことになる。最初は雑誌「新潮」(2008年1月〜6月号)で読み(ある若者の作成しているホームページで取り上げられていて知ったのだが)、次に新潮社から刊行された本書で読んだ。(2008年12月刊)。読み終わってからもうかなり時間が経っている。
当ブログで取り上げたいなと思いつつ、本書で取り上げられていることに触発され、例えば川端康成と三島由起夫の関わりなどについて、私なりの興味に従ってなにやら調べたりしているうちに、だいぶ間(ま)が空いてしまった。そのためもあって、本書に書かれている中味について記憶が薄れ、心もとない状態だが、思い切って書こう(笑)。
 全体として、この一書を完成させるために作者が費やし感じただろう労苦と反面の喜びを想像し、茫然とした思いに捕らわれる。学者の凄さを改めて感じつつ、その一方、記述は伸びやかで精細、威圧的なところがまるでなく、しかも一つ一つの資料の出版年などが詳しく記されている点など一読者としては好ましい。
 本書によって私が知ったことを幾つかあげてみたい。
ロシア文学者の片上伸(かたがみ・のぶる)(1884〜1928)や画家長谷川利行(1891〜1940)、更には書や陶芸などで知られる本阿弥光悦(1558〜1637)などの同性愛指向。
 また、雑誌『MLMW(ムルム)』(砦出版刊)の1号(1977年7月)から4号(1978年2月)まで掲載された「ブランスウィックとその時代」(私が所持し、読んだのは1号、3号、4号)の作者吉田勝が、本書にはイラストレーターと書かれている。切れ味の鋭い線や色彩で人体を描くあの吉田カツ(1940〜)と同一人物なのだろうか。(当ブログ「アートに欲情しよう!」の(その5)「ヤギシンゴの巻」で彼に触れたが)(恐らく同一人物だろうと私は思うのだが、もし間違っていたらどなたか教えていただければうれしく思います)
 更には、上記光悦と同じく琳派の尾形光琳(1658〜1716)作「中村内蔵助像」について作者は述べ、かつて美術史家の小林太市郎氏が指摘した、画家光琳とモデル内蔵助との間の情痴関係を補強している。(以前、雑誌「芸術新潮」で丹尾氏が書かれていたのを読んだ記憶があるが、確かではない)
 2008年の10月から11月にかけて、東京国立博物館で「大琳派展」が開催され、「中村内蔵助像」も展示されていた。正確な記憶はないが、説明の札に、小林太市郎氏や丹尾氏の説を肯定的に受け入れて書いたと思える記述があって、私は面白く感じた。博物館側の担当者も無視できなくなったのだろう。
 確かに内蔵助の顔や座した姿からは涼やかに静まった色っぽさが伝わってくる。私は昔、この作品を所蔵している奈良の大和文華館で見たことがある。その時は取り立てて色っぽさまでは感じなかった気がする。ということは私も小林氏や丹尾氏の見解の影響を受けたのだろう(笑)。

また、『伊豆の踊子』(1926年作)や『少年』(1949年作)などの作品を論じながら展開される川端康成(1899〜1972)像も面白く、私には川端康成という作家が一段と謎めいた存在になった。『少年』は以前読んだことがあり、彼の若い時期の同性愛体験は知っていたが。
 
 三島由紀夫(1925〜1970)の『禁色』(1953年作)に登場する作家檜俊輔は川端康成をモデルにしているという説を以前から私が知っていたかどうかはっきりしないが、明確に論じられているのを読んだのは本書が初めてだった。画像
 ただし、丹尾氏が紹介している「小説「禁色」のモデル」(『人間探求』(昭和28<1953>年5月号)(画面右参照)の中で作者の田中純夫も述べているように、「作者(三島由紀夫)(荻崎  注)の、イメージの足か゛かりとして、作家K(川端康成)(荻崎 注)の面影」を用いているということだが。丹尾氏も田中説を肯定し、補っている。(『人間探求』のこの号をインターネットで検索したところ好運にも見つかり、私は入手し読むことができた) 
 『禁色』は、私は遙か以前に読んだので、おぼろげな記憶しかないのだが、檜俊輔は戯画化とまではいかないまでもかなり風刺的に描かれているといった印象を持った。川端本人も自分の像を少し使っているなと分かり、苦笑したかもしれない。
「川端康成全集」(1984年 新潮社刊)の補巻2には川端の三島にあてた手紙が載っているが、「禁色は驚くべき作品です」(昭和26<1951>年8月10日付)、「今月の文學界は、新しい少年のところ、少しはっきり書きすぎてはないでせうか」(昭和28<1953>年2月15日付)など、『禁色』に言及している箇所がある。昭和28年当時、三島は「秘楽」(『禁色』第二部)(私の所持している「現代文学大系58 三島由紀夫集」(昭和38<1963>年 筑摩書房刊)の年譜では<ひげう>と振りがながあるので、<ひぎょう>と読むのかもしれない)を「文學界」に連載していた。「新しい少年」が誰をさしているか、今は私には分からない。いつか『禁色』を再読してみたいが。
三島が川端に推され、1946年、雑誌「人間」に『煙草』を発表し文壇に登場したことからもうかがえるように、二人は手紙だけでなく、三島が鎌倉の川端邸を訪れるなど深い交流があった。ひょっとすると、「檜俊輔」の像を川端に借りる旨(むね)を予め告げ、了解のようなものを受けていたかもしれないと私は想像したりする。(上記の「苦笑」とは状況がやや異なってくるが)(笑)。
 それはともかく、二人の間で同性愛に関連してかなり深い会話がなされていただろうことが推測される。
 因(ちな)みに、三島の死の2年後、川端は自殺した。
 
 最後に本書の中で私が最も引き付けられた文章を、やや長くなるがそのまま引用したい。丹尾氏の、深いところまで届き染み入っていく感受力や認識力の有り様(よう)が文章と見事に一体化している、と私には思える。もしかすると、作者自身一番気に入っている箇所かもしれない。
「男色を異様とみなす社会にあっては、男色のサインは理解もされないし、その存在すら忘れられる。だが、男色の花言葉から撒かれた花粉が、潤色をほどこす絵具層となって画面をうるおし、はなやいだ香りを匂いたたせることだってある。光琳の画面は、単層で成立しているのではない。幾重にも重ねられた文化の複層が呼応し、ふくらみと奥行にとんだ響きをかなでている。男色も、おそらくは、絵の艶をささえるひとつの層でありえよう。それは、けっして、除去すべき画面のよごれではない。」(P.172)

(2010.3.8)
(2010.3.19)(『MLMW(ムルム)』の4号は所持していて、読んでいましたので、その箇所を訂正しました)

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ハソキ?・ェ・タ・皈、・ノcartier ・ソ・・ッ・ス・?
SMOOWSLINNA
2013/10/30 06:58

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