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zoom RSS 田中慎弥(たなか・しんや)著『共喰い』を食(は)む

<<   作成日時 : 2012/07/11 00:54   >>

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(その2)
一方、息子の遠馬には私はまるきりというくらい色情が起こらない。遠馬の体や顔については一つも記述されていないため取っ掛かりがないという面もあるにしても、作品全体を通しても私は彼には欲情を覚えない。別段、私がもともと年配の男が好きで、17歳の若者には惹かれないからという訳ではない(笑)。私の好みの対象には老若の差はまずない。
どこまで意図的だったかは別にして、遠馬はあくまで見る側、欲情を向ける側の人間であって、見られ、欲情を向けられる側ではないという設定において、作者と遠馬の視点はほぼ一体化しているようだ。自作品の中で、多くの場合、作者となにがしか重なる主人公は見られる側ではないのと同様に。
円が戯れに遠馬の足を摑(つか)む場面がある(P.407)。私には円の我が息子に対する薄ら官能の混じったいとおしさの表われだと感じられるものの、更にもう一度円の指が遠馬の足に触れた時、遠馬は円を殴りそうになる。更に、翌朝、前日の父の指の感触がよみがえり、思わず遠馬は手で、父親に触られた足の甲を払う。父親に対する遠馬の嫌悪や拒絶があらわに描かれている。17歳という年齢からくる潔癖感と頑(かたく)なさもあるだろう。
そうか、と私は思う。円が実の父親であるからには、顔付きを始め遠馬の容姿がどこかしら円に似ていたとしてもなんら不思議ではないだろう。となると、父親の円に惹かれるなら、息子の遠馬も私好みであってもおかしくはないはずだ(笑)。
際限もなくなった私の妄想の中で、円と遠馬と私の3Pが始まる。
「二人とも四つ這いになって尻(けつ)を突きあげろ」と遠馬が円と私に命じる。並んで突き上げられた円と私の尻を、遠馬の若々しく漲(みなぎ)り反り返る男根が交互に荒々しく掘りまくる・・・。
しかし、妄想の外で、現に私の誘いの手が遠馬に触れようものなら、憤った遠馬に間違いなく張り倒されるのが落ちだろう。

円が女たちとの性交のさなかに振るう「暴力」の問題を取り上げたい。妻の仁子が夫の家を出て、近くで営む魚屋に独りで住んでいるのもそのせいだった。円がセックスの時、殴りつけることを仁子は結婚してから知る。妊娠している時はそれを止めた。自分が気持よくなりたいためだけに殴るのだと、仁子が息子の遠馬に語る場面がある。最初に殴られた時、仁子は円に本気で殺意を抱(いだ)いたとも語る (P.401)。
また、同居している琴子に対しても円は同じように振る舞う。琴子の頬や目の周りには時々痣(あざ)ができる。「なんで別れんの、親父が怖いけえ?」と聞く遠馬に、「うちの体がすごいええんて、殴ったら、もっとようなるんて」と琴子は笑う (P.385)。
前述の、階段で遠馬が円と琴子の交接を目撃する場面でも、円は琴子の髪を摑(つか)み、反対の手で頬を張る。更に両手を琴子の首にかけて絞め上げる。その琴子も円の子を身ごもった後、円には知られないようにして、大雨の日、円のもとを去る。琴子も性交のたびに暴行を加える円と、この先長く生活を共にすることは耐えられないと、彼女なりに見切りをつけたのだろう。
近くのアパートに住む、男たちに体を売っている女に対しても、円は性交のたびに暴力を振るう。
やがて、遠馬もこの女と交合し、父と同じような振る舞いをすることになるが、それを知った円が遠馬に語る。「一回やってしもうたら、やめよう思うても無理ぞ。わしは、やめようとは思わんかった。こねえにええもんか、思うただけじゃった」(P.408)と、円は自らの暴力を彼なりに分析する。
「相手がちゃんと女じゃったら、やるんよあいつは。ああいうことせんと、男にならんそよ」(P.394)と、仁子が遠馬に語る言葉もある。
円は性交の際、なぜ女たちに暴力をしかも激しく振るうのか・・・。関わった女たちと本人のこれらの言葉から、その動機や理由がおのずから浮かび上がってくる。殴ったり首を絞めたりすることで快感が補強される。尋常ではないそうした行為に自らが煽(あお)られ高ぶり、更に一段と増した暴行にのめり込む。繰り返すうちに、そうした行為抜きには快感をさほど覚えられなくなり、自身の快感の火に油を注ぐためにも、暴行に依存するようになる。
快感と暴行と更に円がどこまで意識したかは不明ながら女たちに対する支配欲、それらが一つに溶け合っているために、そこから抜け出すことは困難になる。円がふと覚めた意識の中で、自らの暴行の醜悪さを感じ、止めようと思う時が仮にあったとしても、そうしたら快感自体を諦めなければならないのだと彼なりに分かっていただろう。
前述のように、仁子に殺意を抱かせたというからには、円の暴力は恐らく振るい初めからかなり手荒な容赦ないものだったのだろう。
それはそれとして、円の暴力性はあくまで女たちとの性交時という限定された場の中で現われるもので、誰かれ構わず暴力を振るいがちな荒くれ者という訳ではない。ちなみに息子の遠馬に対しては一度も振るっていない。

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