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zoom RSS 東京を撮った円谷順一

<<   作成日時 : 2012/10/29 17:46   >>

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 画像2007年に入手した円谷順一(えんや・じゅんいち。通称 大阪のおっちゃん。 1971《昭和46》年10月死去。享年54歳)のアルバムの中の一冊を見ていた時、それまでは特に見なかった何枚かの写真の裏に、円谷の手で簡略にメモが記されていることに気づいた。(それぞれの写真の上の一部分にだけ糊付けされていることが多いために、裏を見ることは割にたやすい)。
左一段目、二段目の写真の裏には、ともに「松葉神社 38.6.16」と記されている。昭和38《1963》年6月16日、松葉神社の祭りを撮ったとわかる。
円谷は昭和46《1971》年10月に54才で亡くなった。逆算すると、生年は大正5《1916》年か同6《1917》年になる。昭和38年の時点では、46才か47才だ。亡くなる8年前になる。
 画像
(ちなみに、記された38を西暦だと考え1938年だとすると、戦時中の昭和13年に当たり、円谷が21、2歳の頃だが、この時期に撮ったというのはまず考えられないだろう)
左一段目前面の若者の、若々しく伸びやかな四肢と顔つきに私(荻崎)は好感を覚える。
さて、上記の「松葉神社」とはどこにあるのか、インターネットであれこれ検索したものの、腑に落ちなかった。
画像
幸い、同じ祭りを撮った右手上段の写真をよく見ると、右上に「矢先稲荷神社」の文字が読めた。(画像では文字がよくわからず、恐縮です)
私の知らない神社だったが、検索したところ、東京の浅草にある神社だった。
矢先稲荷(やさきいなり)神社は、台東区松が谷(や)2丁目にある。ただ、松が谷という地名は、1965(昭和40)年8月からで、それ以前は、松葉町(まつばちょう)と呼ばれていたという。円谷がこれらの写真を撮った昭和38年の時点では、矢先稲荷神社は松葉町にあったことになる。画像
 私は今年(2012年)の8月から9月にかけて、矢先稲荷神社とその周辺を何度か訪れた。上野や浅草は普段から、私は遊びも兼ねてよく行く所だ(笑)。当神社の受付の方に話を聞いたり、近辺の文房具店の年配の方に聞いたりしたが、矢先稲荷神社を松葉神社と呼ぶことはなかったという。(右手下段の画像は、現在の矢先稲荷神社)
 或いは、円谷は自ら撮影した写真にメモを書こうとして、当の神社の正しい名前を忘れてしまったか、ひょっとして知らなかったりして、松葉町にあるからということで、松葉神社と記したのかもしれない。それとも、撮影中に地元の誰かが、戯(たわむ)れかどうか、松葉神社と口にした声が、耳に残っていたというようなことがあったかどうか。
 松葉という地名は当地では現在でも、松葉公園、松葉小学校、松葉町会館(矢先稲荷神社の境内に建つ)などと用いられている。
画像画面左三段目の画像は、左一段目、二段目、右上段の画像と同じアルバムに載る、円谷が同じ祭りを撮った中の一枚だ。この画像では分からないが、もとの写真では、辛うじて、「坂東報*寺」と読める。*は「恩」かなと推測し、インターネットで検索したところ、矢先稲荷神社の近隣に、「坂東報恩寺」があることが分かった。(住所は台東区東上野6丁目)
同じ祭りの大勢の参加者(年少者たちか)がこの寺の石段で休んでいる場面だ。
画像左手のその下の画像は、私が撮った49年後の現在の坂東報恩寺。通りをはさんだほぼ真向かいに松葉湯という銭湯が建っている。残念なことに、現在は営業はしていないようだった。もし営業していたら、ぜひ入ってみたかったが(笑)。
 矢先稲荷神社では、例大祭や神輿渡御が6月中旬に行われるようだ。私自身は一度も見たことはないが、インターネットの動画などで見ると、現在の祭りの形は衣装なども含め、円谷が撮影した当時とは違っているかもしれない。動画では、少なくとも褌姿は、これも残念ながら見当たらなかった。できたら来年の六月、実際の祭りをこの目で見たいと思う。
 前回の当ブログ、「1971年の円谷順一」でもふれた、三社祭や深川祭りも含め、更に祭りだけではなく、円谷本来の、モデルにした若者たちの裸の撮影など、私の所蔵しているいくつかのアルバムから、地元の大阪のみならず、東京とその近郊でも円谷は意欲的に活動していたことが分かる。
 『薔薇族3号』(1971《昭和46》年11月 第二書房刊)の「幻の花火 ホモ・ポルノの写真家を悼む」の中の藤田竜(1938〜2011)の文章から推測すると、おおよそ昭和30年頃から、東京の六本木にあった地下組織では、円谷撮影の8ミリ映画が上映され、アルバムが見られたという。
 更に、年代的にはそれより以前、東京で刊行されていた会員雑誌『アドニス』(1952《昭和27》年〜1962《昭和37》年刊)の幾つかの号に、円谷の写真が掲載されている。これらとの関わりもあって、円谷は昭和20年代の末期頃から、その頻度は分からないものの、何度となく上京していたと考えられる。円谷の30代の後半頃からということになる。そうした折に、祭りも含め東京とその近辺の男たちの裸を撮っていたのだろう。
 2010年の5月に藤田竜氏に電話で聞いたのだが、交通費を節約するために、円谷は深夜バスで上京していたという。藤田氏も語っていたが、疲れて、健康を損(そこ)ねたに違いない。54歳というまだ壮年期での円谷の死の一因になったかもしれない。
 ただ、「円谷順一」探訪行(その1)でも触れたが、近所(大阪府枚方《ひらかた》市)に住んでいた女性の話では、上京を前にした円谷は、浮き浮きと楽しげだったという。日頃の様々な鬱屈から解放され、男たちの裸を撮りそれらを残すという、自身の生存のほとんど総てをかけている行いの成果を、なんら隠すことなくあるがままに披露し、それらを評価してもらえることは、円谷にとって最大の喜びだったに違いない。彼はそういう54年間に渡る自身の生を丸ごと引き受け、生き抜いたのだ。
(「アドニス」「同好」「薔薇」の中の円谷順一「円谷順一」探訪行(その1)(その2)(その3)(その4)(その5)(その6)「風俗奇譚」の中の円谷順一(その1)(その2)参照)

(インターネットの威力と恩恵を今回は改めて強く感じた次第だ。矢先稲荷神社にしろ坂東報恩寺にしろ、インターネットがなければ、いずれ探し当てられたにしろ、何倍も時間その他を費やしたと思う)

(2012.10.29)



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