アートに欲情しよう!

(その7) 波賀九郎(はが・くろう)の巻 
波賀九郎(1920(大正9)年~2002(平成14)年)は、ゲイの視点から日本の男たちの裸を撮った写真家として、草分け的な一人である。「薔薇族」(第二書房)の比較的初期の号から作品が掲載され、「バディ」(テラ出版)、「ジーメン」(ジープロジェクト)など他のゲイ雑誌でも取り上げられているが、ゲイ・アーティストとして大きな存在である。
 私は正確な数をつかんでいないが、写真集も数多く刊行されている。その中で私が現在所持しているのは、「梵(ぼん)」(第二書房 1973年)、「BON(梵)」(梵アソシエーション 1975年)、「虐(ぎゃく)」(同 1978年)、「奴ら(Yatsura)」(同 1981年)、「年頃」(同 1981年)、「男幻想」(同 1983年)、「自転車家具・BICI」(梵アートハウス 1988年(?))の七冊だ。
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画面右手上段は、「奥山三重塔」と題された、私の所蔵しいている作品だ。 どこか恐らく山深い地に立っている三重塔の、裳階(もこし)の上だろうか、真裸の男が向こうむきに立っている。固めに締まった総身が、あたかももう一つの小振りの三重塔でもあるかのように・・・。男根自体も同様、今まさにのけ反り立っていたら申し分ないのだが(笑)。
 それはともかく、人目もあるだろう中で、撮影には相当苦労したに違いない。
 この作品は、「薔薇族」53号(1977年6月)、同240号(1993年1月)にも掲載されている。53号は撮る向きが違っているが。53号の次のページも同じモデルかと思われるが、同じだとすると、残念ながら顔は私の好みとは異なるようだ。
画像 右手中段は、上記写真集「奴ら」に載っているものだ。(作品は私は所蔵していない)。同書の巻末に載っている解説によって、モデルは19歳の若者(166cm60kg)で、撮影地は伊豆だと分かる。2008年の現在、彼は46才位になっているだろうか。
 私の眼には、どこかしらしっとりとした透明感のある若者に映る。短髪が似合っていて、身長と体重も私には好ましい。毛深く量感のある太ももと、尻から腰への線にそそられる。同書には十数点の彼の写真が収められている。写真家もそう思っただろうが、うっすら煙る霧の中が似合う若者だ。(「追記」参照)
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 右手下段は、上記写真集「男幻想」に載っているもの。(作品はやはり私は所蔵していない)。同書の巻末の解説によると、大分県から申し込んだモデルで、撮影地も大分県佐賀関の夏の海岸だという。
 締まって均整のとれた体。短髪が映える清々(すがすが)しさのある顔。どこをとっても際限もなく欲情に駆り立てられそうだ(笑)。おまけにど迫力のある男根とのこと。
 実はこのモデルは、もうだいぶ以前私が購入したビデオだが、「短髪奴隷」「寝室の戦士たち」などの主役のモデルとまず間違いなく同じ人物だろう。ビデオの方が上記の撮影時より何年か後と思われ、より成熟した渋みが加わり、しかも胸や尻も厚みを増している。
 私はこのビデオの中の彼の方に数段惹かれる。取り分け、突き上げた尻の形には眼がくらみそうだ。何日、何カ月貪(むさぼ)り続けても、どこからでも滾々(こんこん)と色情(エロス)が湧き出る体だ。相手役の壮年の男がなんとも妬ましい。

波賀九郎は「薔薇族」230号(1992年3月)から同240号(1993年1月)まで11回に渡り、「わが半生の想い出 若者たちへの鎮魂歌」という回想記を連載した。その第一回目に「蛍火の交響楽」と題し、戦争中の中国での体験を書いている。
 満州(中国東北地区)開拓青少年義勇隊の小隊長をしていた23歳の波賀は、その隊員であった16歳の少年の体を半ば強制的に奪った。その少年はやがて結核で若い命を落とす。その出来事を中心とする戦争体験が、恐らくその後の波賀の悔恨や哀しみの原風景をなしているのだろう。
 上掲の三点は異なるが、波賀の写真には、上記「虐(ぎゃく)」が代表的だが、縛ったり、吊るしたり、踏んだりなど、モデルを時にこれでもかというくらい痛めつけるものも多い。そうすることであの苛烈な原風景を結果的に追体験しつつ、同時に自己をも罰しているのかと私は思う。
 「ジーメン」10号(1996年12月)の、小倉東氏との対談の中で、波賀自身「戦争中に僕が手をつけたというか、触った男がわりと大勢死んでいて、それが基礎になっているから、やたらと男の子が苦しい立場に立っている姿を撮るのかもしれない」と述べている。
 同じ対談の中で、「僕はモデルの視線の持っていき方まで指示するんです。撮っている間は、陶酔しきって、のめりこんで写真を撮る」とも語っている。いずれにしても、こうした有りようが、波賀九郎の写真の持ち味や独自性とつながっているのだろう。
 ちなみに、本ブログの(その4)で取り上げた栗浜陽三の、できるだけ自然に近い男たちの姿を写し取ったと思える作品と、対蹠(たいせき)的だと私は感じる。
私個人は、どちらかというと栗浜陽三の作品に惹かれるが。
 また、上記「虐(ぎゃく)」の中には、モデルを有刺鉄線で巻いた作品が何点かあるが、本ブログで前回(その6)取り上げた松五郎氏の「咎め」は、ひょっとすると、これらの写真に刺激を受けて描かれたのかもしれない。

 私は生前の波賀九郎に、作品の購入その他で、数回会ったことがある。何かを見てしまい、しかもそれをじっと見続けてきた人、という風な印象を持った。
 「薔薇族」86号(1980年3月号)に載る、「男性ヌード・カメラマン座談会」を読むと、波賀は写真家の円谷(えんや)順一(通称 大阪のおっちゃん)と、戦後五、六年経った頃、大阪で交流があったことが分かる。私は波賀と会った当時この記事のことは完全に忘れていたし、円谷についての関心も現在ほど持っていなかったこともあり、円谷について波賀に聞くことはまったく思い浮かばなかった。仕方がなかったとは言え、やはり今思うと残念だ。

 波賀は本名の中谷忠雄の名で、「土方巽の舞踏世界」(心泉社 2003年4月刊)という写真集を刊行している。暗黒舞踏家と言われた土方巽(ひじかた・たつみ)を撮ったものだ。私はこの本を南麻布にある都立中央図書館で読んだ。
 この本によると、波賀が土方を撮った写真は、慶応大学センターの土方巽アーカイヴに、中谷忠雄コレクションとして保管されているという。

 なお、上記写真集「自転車家具・BICI」は、ゲイ・アート集ではないが、巻末に作者のかなり詳しい経歴が載っていて役に立つ。波賀本人からイタリアで刊行されたと聞いた気がする。(私の記憶に間違いがなければ)

上段・・・(原題)「奥山三重塔」 サイズ(約) 縦55.5×横45.0(cm)

 「荻崎正広コレクション ゲイ・アートの家」では、波賀九郎の作品を、「奥山三重塔」を含め、あわせて四点所蔵しています。

(追記)
画面中段の画像は、事情により変更しました。新しく載せた画像も、同じ写真集「奴ら」に載る同モデルのものです。文章は元のままですが、悪しからずご了承ください。
 新しい画像は、うつ伏せた裸の総身が大地と一つに溶け合っていくような、静かで深い味わいが感じられます。やはり、尻と太ももの辺りが、私には一番悩ましい(笑)。
なお、現時点で、「荻崎正広コレクション ゲイ・アートの家」では、波賀九郎の作品(オリジナルプリント)を、「奥山三重塔」を含め合わせて7点、写真集は「奴ら」を含め、合わせて14点所蔵しています。(2011.3.28)




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