アートに欲情しよう!

(その8) 矢頭保(やとう・たもつ)の巻
 矢頭保(1928(昭和3)年~1973(昭和48)年)は、日本人の男の裸が放つ官能性を、意識的に、しかも持続し本格的に撮った写真家として、このシリーズで既に取り上げた、栗浜陽三(その4)、波賀九郎(その7)、まだ取り上げでいないが円谷(えんや)順一(通称 大阪のおっちゃん)などと並び、出発点に当たる大きな位置を占めている。
 彼は三冊の写真集を生前刊行した。
「体道―日本のボディビルダーたち」(ウェザヒル出版社 1966(昭和41)年刊)
(日本語版と英語版の二種類があり、私が所持している英語版のeditor欄に下記のKEIZO AIZAWAの名前が記されている)
「裸祭り」(美術出版社 1969(昭和44)年刊)
「OTOKO」(PHO-DELTA PRESS Los Angeles 1972(昭和47)年刊)

兵庫県の西宮で生まれたこと、本名は高田實男であることを含め、彼の経歴や交流した人々などに関して、既に多くの方たちによって書かれていることもあり、(インターネット上でもtatsuo氏による<対岸のイデア 矢頭保とその3部作>で詳細な考察がなされている。ただ、上記の「体道」の英語版は、氏の指摘しているソフトカバーだけでなく、ハードカバー版もあることをふれておこう)、当欄では、本シリーズの趣旨に沿い、もっぱら、私が矢頭保の写真の何にどのように欲情を掻(か)き立てられるかについて記してみたい。
 ちなみに、上記の彼の生没年などは、詩人である相澤啓三(1929~)の詩集「孔雀荘の出来事」(書肆山田 2002年8月刊)によっている。同書の中に、「君が僕に編集させた三冊の写真集だけが…」という一行があるが、私には確かな事実に即していると思われる。いつか機会があったら、ご本人にその辺りの事情も含めお聞きしたいものだと思う。
(相澤氏のこの詩集については雑誌「薔薇族」2003年2月号の岡田 修氏の文章によって私は知った)
画像
 画面右手上段の画像は、上記「OTOKO」の中で、私が一番惹かれる作品だ。骨太で、分厚く締まった筋肉が行き渡った胸や二の腕。更にはがっちりとした尻と太もも。短髪と男ぽく引き締まった顔の中の、どこかしら何かに頼りたげな誘い込む眼差(まなざ)し。どこをとっても一級品だ。
 尻の形がよく分かるもう一枚があったら、申し分ないのだが。更に欲を言えば、彼があまり大柄ではなく、中背からむしろやや小柄ぐらいであったら、私にはこの上ないところだ(笑)。仮にこのような男の体にひしひしと絡みつき、手と舌を存分に這わせることができたとしたら、私はその体験と記憶をどのような形で、どれだけ長く引きずることになるのだろう・・・。そんなことはおまえには有り得ないから、心配無用だとの声がたちまち返されそうだが(笑)。
 それはともかく、この作品に限らず、「OTOKO」に載る写真群に目を通すと、作者が、一人の写真家としてと同時に一人の生身(なまみ)の男として、日本の男のしっとり潤った肌と締まった体、さらにその質感にどれほど深く惹きつけられていたかが、よく伝わってくる。
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 右手中段の画像は、上記「裸祭り」に載る一枚だ。岩手県奥州市にある黒石寺の蘇民祭を撮ったもの。この祭りは昨年、ポスターのモデルの件で話題になったが、作者が写したのは、刊行年から考えて、2008年の現在からは、40年ほど以上前のことになる。私は実際のこの祭りを目にしたことはないが、現在とは祭りの中身その他に相違があるかもしれない。
 この作品が、箱や表表紙にも使われていることからも、「裸祭り」全体の中で、矢頭が一番気に入っていた会心作だったのではと私は思う。私自身もこの写真に一番惹かれる。
 建物の中も相当暗いのだろうが、一本の綱をつかむ男の裸身も鮮明ではない。私の目には、褌は締めず真裸に見えるがどうだろうか。渾身(こんしん)の力を込めて緊迫した筋肉の起伏や盛り上がりと、その陰影が見事だ。
恐らく普段特別鍛えている訳ではないだろうが、日々の仕事や生活の中で出来上がった体が、今まさに途方もない量の官能を放ちながらその頂点に届いている。いくら望んだところで叶(かな)うはずもないが、仮にこの瞬間のこの体を丸ごと味わうことができたとしたら、この世のものとも思えない快感を手にするのではないか。(写されていない顔を、私好みに思い描いた上だが)。
 祭りが終わり、興奮の余韻をとどめながら、彼がひとり身を休めている場面を、私は勝手に想像する。思いも寄らず、彼が私を受け入れてくれる。一時(いっとき)前の緊迫した体とは違い、更には、上段の画像の男の体とも異なり、しっとり絡み合いつつ、何か日本の深々とした土に帰って行くような安らぎも同時に覚えるのではないだろうか。
 この写真に限らず、「裸祭り」にひしめく一時代前の日本人の男の、なかでも質朴そうな顔や足腰の据わった体つきを見ると、私はそれらに惹かれる感覚の中に、ある種の懐(なつ)かしさや哀感めいたものも混じっているのを感じる。
 ちなみに、「裸祭り」が刊行された年の「カメラ毎日」(1969年6月号)の書評欄に、「日本の男の肉体論」と題し、「裸祭り」が取り上げられている。その中に、「この写真集は、裸祭りを集大成したばかりでなく日本の男の中に、はじめてエロチシズムの目を持ち込んだものだといってもよい」という一文がある。
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 右手下段の画像は、上記「体道―日本のボディビルダーたち」の中で、私が最も好ましく思う写真だ。私は、通常、鍛えられ造り上げられた筋肉自体に必ずしも色情を覚えるということはないのだが(それが大柄な男たちの場合は尚のこと)、やはりその顔(前景の男)に惹かれる場合、状況は違ってくるものだ(笑)。
 鍛えられ盛り上がり、弾(はじ)くように締まった筋肉のかたまりが一つ一つ、蕩(とろ)けるような分厚い官能性を湛(たた)えてくる。私の目にはこの体にぴたりの、どこか少年ぽさをとどめた、可愛げがあってしかも心根の真っすぐな感のする顔立ちと相まって、彼の放つ官能(エロス)の総量は、上段や中段の写真の男と少しも遜色(そんしょく)ないだろう。
 大会での出場が終わり、一息つき休らう彼の体に、もしも欲しいだけ有りつけたら・・・。その先はもう私の言葉は届かなくなりそうだ(笑)。
 
 私とおおよそ同世代だと思われるこれら三人の男たちは、今どこでどう暮らしているのだろう。健在だろうか。

 「荻崎正広コレクション ゲイ・アートの家」では、残念ながら矢頭保のオリジナル・プリントは所蔵していません。

アートに欲情しよう!」のシリーズは今回でひとまず終了します。お読みいただいた方々に感謝します。
 いつになるかはまだ分かりませんが、いずれ、第二部という形で再開しようと考えています。その時はよろしくお願いします。


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