日本の男たちの尻をさかのぼるーその蕩(とろ)けと安らぎ

画像(その4)(最終回) 鎌倉時代と、下(くだ)って近代の北村西望の、彫刻の中の尻と顔
 もう1年半以上前になるが、2017年11月下旬、上野の東京国立博物館で「運慶」展(興福寺中金堂再建記念特別展)を見た。中でも、一番見たかったのが、「龍燈鬼立像」(りゅうとうきりゅうぞう)の後ろ姿、取り分け、その尻だった。(画面左一番上の画像)(左二番目の画像は、同像の正面)
 ぐるっと回る形で後ろ姿も見られる展示になっていることは、当展のHPなどであらかじめ知っていた。訪れた当日、現物をじっくり味わったものの、見終わって売店で図録を見た折、ぱらぱらと大雑把
画像に見たせいもあって、この尻が載っているページを見落としてしまった。なんだ、一番見たいものが載っていないのか、それなら購入はやめておこうと、高価なこともあって(3000円)、結局、買わなかった。
その後、ある友人宅で当の図録を見せてもらった際、本像の後ろ姿が載っていることを知った。(その友人はこの後ろ姿が載っていることを知っていて、私(荻崎)に告げてくれた)
そうした経緯があって、3ヵ月ほど以前になる今年の3月上旬、当博物館入口のすぐ近くに建つミュージアムショップで、私はやっと本図録を入手した。私が「運慶」展を見てから、1年3ヵ月以上経っていたことになる。
(ちなみに、上から5段目までの画像は、すべてこの図録から私が撮ったものです)
「龍燈鬼立像」は、運慶(うんけい)(生年不詳~1223(貞応2))の三男と思われる康弁(こうべん)作。本像の像内に納められいてた紙片に健保3(1215)年、康弁作であることが記されていたという。康弁作の確かな作品はこの像だけとのこと。
「その筋肉表現は目を見張るものがある。間違いなく力士の筋肉を十分に観察して造ったもので、・・・」と図録に記されている。
尻(大臀筋(だいでんきん)か)や太もも、脛(すね)(画像では切れているが)などの、弾(はじ)き返されそうな筋肉の盛り上がりや引き締まり具合が圧巻(あっかん)。
(ちなみに、テレビ画像などで目にする、大形になった現代の力士たちの大半の体つきとは相当異なるようだ。ボディビルダーには、似た体形の男たちがいるのではないか)
本像は鬼という設定ではあるが、日本の力士の体の原点か・・・。私が足しげく訪れるハッテンサウナなどでも、ごくまれにだが、似た体つきの男を目にすることができる気がする。まず間違いなく私は手を出す(出していた)だろう。(その後の展開はともかく)(!)。とは言え、顔が目に入り、私の好みとは正反対というくらい余りに遠い場合は、あるいは手は出ないかもしれない・・・。
それはともかく、残念ながら本像の顔は、鬼とは言え、私の好みとは遠い。
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左三段目と四段目の画像は、「天燈鬼立像」(てんとうきりゅうぞう)の後ろ姿と正面。
図録の解説には、「天燈鬼と龍燈鬼は、対比的な表現に特色があるものの、筋肉の表わし方や構造技法に違いがあり、作者が異なる可能性もある。天燈鬼の作者については、康弁の兄弟とも想像できるだろう」と記されている。
天燈鬼の尻は、残念ながら衣類によって隠されている。とは言え、四段目の、筋骨隆々とした正面画像からも、龍燈鬼と遜色(そんしょく)ない尻ではない

画像かと私は想像する。顔は鬼とは言え、私の好みだ。気迫に満ち、男っぽく色気がある。

 左五段目の画像は、「十二神将立像」(じゅうにしんしょうりゅうぞう)のうちの「酉神」(ゆうしん)。「十二神将立像」は、その内の五軀(く)は東京国立博物館蔵、この酉神を含む七軀は東京・静嘉堂文庫(せいかどうぶんこ)美術館の所蔵。鎌倉時代、13世紀の制作。
酉は、十二支では鶏(とり)にあたる。図録の解説には、「十二軀の制作時期が大きく異なるとも思われ

画像ないため、いずれも安貞二年頃に制作された可能性が強い。その作者は、運慶の子息や周辺の慶派仏師を考えるべきだろう」と書かれている。安貞2年は1228年。
私はこの酉神の顔や体に惹(ひ)かれる。私の目には、四段目の天燈鬼立像の顔や体つきと少なからず似て見える。顔では、目や頬や口元の辺り。体では、胸や腰つきなどもどこかしら。「神」と「鬼」が似ているということになるが・・・。
 上記に関連し、天燈鬼立像の作者を康弁の兄弟と考えると、酉神の作者は運慶の子息、すなわち康弁の兄弟とも考えられ、両像の作者は同一人物だという可能性もあながち否定できないことになる。(例えば、図録に載る、康運(こううん)とか康勝(こうしょう))
両像を見比べれば見比べるほど、私には、同じ作者の作品ではないかと思われて仕方がない。両者の色っぽさの有り様(よう)が似通っている(!)
 無論、私にそれ以上のことを立証する力はないものの・・・。
それはそれとして、両像の作者が別人であったとしても、両像それぞれから私が感じ取る色っぽさには、当たり前だが、何の変りもない。
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 左六段目とその右の画像は、北村西望(きたむら・せいぼう)(1884《明治17》~1987《昭和62》)作の、「怒涛」(どとう)の正面と後ろ姿を撮ったもの。「怒涛」は
1915《大正4》年作。
野外に置かれていて、建物との間が狭いこともあって、確か、真後ろから撮ることはできなかった。
「怒涛」の顔は、私には、色気を感じ、惹かれる顔形の一つだ。男らしい可愛(かわい)げと生気あって、しかもなにかしら質朴な感がする。左五段目の「酉神」の顔とどこか似て見える。両手がちょうど尻の辺りで組まれていることもあって、見たい尻の形がよくわからないのが残念。
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左七段目とその右の画像は、同じく北村西望の「光に打たれる悪魔」という作品の正面と後ろ姿。1917《大正6》年作。設置位置は、上記「怒涛」との間に「晩鐘」(ばんしょう)という作品を挟み、やはり野外に置かれている。この彫刻は幸い、真後ろからも撮れた。
顔にはさほど惹かれないが(何しろ、悪魔だ(!)。男くさい野性味に相応の色気は感じるが)、尻の形は抜群だ。全身がややひねられているために、尻の形と量感がひときわ際(きわ)立っている。引き締まった左右の尻たぶが存分に盛り上がりつつ、ずしりと静まり、見る者の目と手をどこへともなく誘っている。
このような最上質の尻を手と舌で丸ごと直(じか)に存分に味わう歓(よろこ)びが、現にこの世にあったっていいだろう、などという思いに連れて行かれると、最後にはどこかへ行き着くのか、それとも行き着くところなどどこにもないのか・・・。
 現に、おまえ自身、飽きることなく通っているハッテンサウナなどで、何十年もの間には、この尻と比べてもまず見劣りしない尻に、さすがにそう多くはないが、何度かは出くわし、有り付いているのではないか、という声が聞こえてくる。
そういう私が、現にどこかへ行き着いたのか。最後の最後までただただ欲しがり続けた果てに、どこかに、何かにたどり着くことができるのか、そんな所など初めからある訳(わけ)もないのか・・・。
 「光に打たれる悪魔」と肩を並べる、あわよくば凌駕(りょうが)する尻に、肝心な残りの生涯ひとつでも多く有り付きたい、そんなあからさまな欲念と妄念が私の視界全体にますます濛々(もうもう)と立ち込めていく・・・。何にどこに行き着くにしろ、何にもどこにも行き着かないにしろ、それらと真っ直ぐ向き合うしか手立てはない。当然ながら、そういう尻の持ち主の男の顔も、可能な限り確かめながらだが・・・。

 余談だが、上記の北村西望の彫刻が置かれている、東京都井の頭自然文化園彫刻園に、私はつごう三回行ったことになる。
一度目はもう何十年か前になる。『東京の花名所』(1990年 朝日新聞社刊)の中の、「井の頭恩賜公園」の説明の中に、井の頭自然文化園が触れられていて、この中に彫刻園があって、北村西望の作品が展示されていることを知った。どのような作品があるかまでは書かれていなかったが。
独立した、例えば北村西望彫刻館などという形ではないので、私が所持している何種かの美術館や博物館の案内書には、この彫刻園についてどれにも載っていなかった。そのためもあって、インターネットなどない時代(私がまだ知らない時代)、ここを知るのが遅れたことになる。
 二度目に訪れたのは五、六年前になるか。木下直之著『股間和歌集(こかんわかしゅう) 男の裸は芸術か』(2012年3月 新潮社刊)を読んだことがきっかけだった。(その前に、雑誌「芸術新潮」に連載されている時から読んでいたが)
この本の中に、上記の北村西望の作品三点がカラー写真で載っている。(P.32~P.33)
このページを見て、何十年か以前、ここに行った記憶がごくごく朧(おぼろ)げながら思い出された。

ちなみに、同書では、「大阪のオッチャン」についても言及している。
私自身、本ブログで、大阪のおっちゃん(本名 円谷順一(えんや・じゅんいち)
 1971(昭和46)年10月死去。享年54歳)について、これまでに、かなり多く書いている。
(比較的新しいものとして、以下の二つを載せました。参照していただけたらと思います)
更なる円谷順一(その1)~(その3)
「円谷順一」探訪行(その1)~(その6)

 井の頭自然文化園彫刻園を三度めに訪れたのが、今から一ヵ月半ほど前になる、この四月の半ば。上掲の画像はその時に撮ったもの。その時点では、今回のブログで用いようとは考えていなかったと思う。江戸時代から更にさかのぼって、鎌倉時代の彫刻について書こうと考えていたから。「酉神」と「怒涛」の顔がどこかしら似ていると感じたことがきっかけになって、北村西望の作品も取り上げようという流れになった。
取り分け、七段目右の尻の画像を載せられたことは、私自身にとって、うれしいことだ。

 なお、北村西望は、長崎市平和公園に置かれた「平和祈念像」の作者としても知られている。亡くなったのが1987(昭和62)年であることからも、現代の彫刻家と言っていいのだが、当ブログで取り上げた作品が、ともに大正時代に制作されたことから、タイトルには「近代」という語を用いた。

 (付記)
前回から、三ヵ月以上間(ま)が空きましたが、今回が最終回です。
現代から鎌倉時代までさかのぼり、また近現代に戻った形になりました。今回も長くなって恐縮です。
まだ何について書くかは決めていませんが、しばらく間を置いてから、新たに書こうと考えています。
また、尻についてだろう、という声が聞こえてきそうですが(!)

(2019.6.7)