テーマ:評論

男の尻の果ての、この世の果ての、更に向こう

(その3)(最終回) ひしひし舐めた果てに、とろりと、越える 私(荻崎)が、もう何年か以前から、顔に惹かれ、尻の形に惹かれ、総身に惹かれる男二人の画像(全5点)を載せた。ゲイ雑誌に掲載され、私が目にした、生身の男たちを撮った数多くの画像の中で、今の私が、最も強く丸ごと引き付けられる男の双璧だ。(男根が確かめられないことは(当然だ…
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男の尻の果ての、この世の果ての、更に向こう

(その2) 男たちの、そそりにそそる尻が茂る、渋い庭園へ  私(荻崎)は普段、褌(ふんどし)を締めた男たちの裸が数多く掲載されたインターネットのサイト(ツイッターも含め)を好んで見る。褌の縦褌(たてみつ)で分けられた両の尻たぶ、前袋(まえぶくろ)に隠された陰部、更に太股(もも)、背中、腹部・・・。一本の褌が男たちの裸全体をきりりと引…
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男の尻の果ての、この世の果ての、更に向こう

(その1)  松五郎(まつごろう)の絵とともに 男の体の中で、尻への欲念や執着が、自身の高齢(2018年1月の時点で72歳)が深まるにつれますます募(つの)り、拍車が掛かっていくような感がする。ハッテンサウナで浴室の湯船の縁(ふち)に腰を下ろしている時、ロッカー室で脱衣する後ろ姿が目に入った時など、目は男たちの尻の形姿を追っているこ…
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長谷川サダオ彷徨(ほうこう) 《補遺》 

(その2) (最終回) 三島由紀夫と長谷川サダオ 幻より濃い幻の先 長谷川サダオ(1945.8.15~1999.11.20)は三島由紀夫(1925.1.14~1970.11.25)に相当惹かれていたようだ。左上段の画像は、当ブログ「長谷川サダオ彷徨(ほうこう) (その2) 男という渦(うず)と天へ」でも触れているが、「薔薇族 …
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長谷川サダオ彷徨(ほうこう) 《補遺》

(その1) 初期作品の森の中へ 昨年(2016年)の6月から8月にかけて当ブログで書いた「長谷川サダオ彷徨(ほうこう)」(その1)~(その3)は、私(荻崎)が長谷川サダオ(1945.8~1999.11)の作品の中で最も強く引き付けられる1980年代(作者の30代の後半から40代の前半の頃)の作品を主(おも)に取り上げた。(既に述べた…
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不思議で仕方がない・・・。

安倍晋三首相や菅義偉(すが・よしひで)官房長官などが、国際会議への出発の際や記者会見などの場で、「我が国と普遍的価値を共有する国々と連携して・・・」、「普遍的価値を共有する日米両国は・・・」などの発言(引用が必ずしも正確ではないかもしれませんが)をするのを聞いたり目にするたびに、私(荻崎)は奇異な「えっ」と驚くような念に襲われる。  …
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長谷川サダオ彷徨(ほうこう)

(その3)(最終回) 果ての果てまで、男への色欲(しきよく)の霧が立ちこめる  『薔薇族 330号』(2000《平成12》年7月 第二書房刊)に、「『聖』なる境地へ 仏画としての長谷川サダオの遺作《リンガ展》」と題したテルテル坊主氏の評論が掲載されている。(遺作11展の画像も載っているが、誌面ではすべてモノクロ。「薔薇族」のこの号を、…
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長谷川サダオ彷徨(ほうこう)

  (その2) 男という渦(うず)と天へ 雑誌『サムソン(SAMSON) 2号』(1982年8・9月合併号)(コバルト社刊)に、「長谷川サダオ作品展」と題された記事が載っている。 1982(昭和57)年7月、新宿二丁目の「体育館」というスナックで作品展が開かれたようだ。この記事の中に、長谷川サダオ(1945~1999)が自分のイ…
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長谷川サダオ彷徨(ほうこう)

(その1) 尻(しり)という澄(す)み切った蕩(とろ)け 長谷川サダオ(本名は長谷川貞夫)は1945(昭和20)年8月15日(奇(く)しくも日本の終戦記念日)に、静岡県清水市(現在は静岡市清水区)に生まれ、1999(平成11)年11月20日、タイのバンコクで死亡(自死)した。享年54歳。 生まれた年や場所などについては、サダオ氏の実…
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ふたりとも好みの男という時

(その2)(最終回) 二人とも私の好みの男だという作品のもう一点が、これも絵画だが、左上の画像。「薔薇族増刊号 夏」(1982《昭和57》年8月刊)に掲載された、神宮寺拳(じんぐうじ・けん)の作品の原画だ。誌面では、赤地の背景に短歌が一首載っているが、原画の背景は、白の無地(画像では、薄く青味を帯びていて、恐縮です)で短歌も載って…
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ふたりとも好みの男という時

(その1) 私が所持しているゲイ・アートのコレクション(絵画や写真など)の中で、同一画面の中で描かれている、あるいは撮られている二人の男たちが、ともに私の好みだという作品が2点ある。(今回は、円谷順一(大阪のおっちゃん)の写真は除きます)。(ちなみに、同一画面の中の、三人或いはそれ以上の男たちがすべて好みだという作品は見つからな…
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高橋睦郎著『善の遍歴』からの眺望(ちょうぼう)

高橋睦郎(たかはし・むつお)(1937《昭和12》年~)の、『十二の遠景』(1970《昭和45》年 中央公論社)、『聖三角形』(1972《昭和47》年 新潮社)に次ぐ三番目の小説『善の遍歴』は、最初は、文芸誌「海」(中央公論社刊 現在は廃刊)に、1973《昭和48》年5月号から1974《昭和49》年5月号まで、12回に渡って掲載された…
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黒田夏子(くろだ・なつこ)著『abさんご』遊行(ゆぎょう)

第148回芥川賞を受賞した黒田夏子(1937《昭和12》~)の小説『abさんご』は不可思議な作品だ。玄妙とも面妖とも茫洋とも夢幻とも、思いつくいくつかの言葉を並べても、そのどれからも身をかわし、作品だけは手つかずのままひっそり静まっている風体(ふうてい)だ。  私(荻崎)がこれまで読んだ小説の中で、不可思議な思いを抱(いだ)いた作…
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更なる円谷順一

(その3)(最終回)  画面左上段の人物を、円谷順一(えんや・じゅんいち)は数多く撮影している。このモデルの場合も含め、多くは撮影年月日が記されていないために、確かなことは分からないながら、何年かに渡って彼を撮ったようだ。前回(その2)で取り上げた「お助けおじさん」ほどではなかったにしろ、円谷にとっては気心の知れたモデルの一人だったの…
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更なる円谷順一

(その2)  左上段の画像の中の、両手を縛られ尻を据えている人物は、「お助けおじさん」と呼ばれ、円谷順一(えんや・じゅんいち)の年下の親しい友人だった。彼は円谷の写真の中に他の誰よりも多く登場し、数多くの男たちとの絡みの姿を残している。相手役が必要なモデルを撮影する時、円谷は気軽に声をかけることができたのだろう。(付け加えると、彼単…
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更なる円谷順一

(その1) 当ブログでも既に何回か取り上げているが、大阪のおっちゃんの通称で知られた円谷順一(えんや・じゅんいち)は、1971(昭和46)年10月、54歳で死去した。大阪府枚方(ひらかた)市に居住し、写真店を営みつつ途方もない数の男たちの裸を撮り続けた。  昨年(2013年)5月、私(荻崎)は新たに65冊ほどの円谷アルバムを入手…
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ミケランジェロ―天才の色欲(しきよく)

「ミケランジェロ展 天才の軌跡  システィーナ礼拝堂500年祭記念」を9月から10月にかけて都合4回も(!)見てしまった。(国立西洋美術館 会期は11月17日(日)まで) 9月に最初に訪れた時は、さほど念入りに見て廻った訳ではなかった。ところが、それから何日か経った頃、これは当ブログでも取り上げたいという思いが強くなったこともあり、二…
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幕末、明治期の日本人の男の裸のいとおしさ

(その3) (最終回)  明治期の日本と周辺の国々の政情などを描いた風刺画で知られる、フランス人の画家ジョルジュ・ビゴ―(1860《万延元》年~1927《昭和2》年)は1882《明治15》年22歳で来日し、1899《明治32》年(39歳)に帰国したという。17年ほどとかなり長期間滞在したことになる。 2002(平成14)年の…
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幕末、明治期の日本人の男の裸のいとおしさ

(その2)  『セイラム・ピーボディー博物館蔵 百年前の日本 モース・コレクション[写真編] 構成:小西四郎+岡 秀行』と『セイラム・ピーボディー博物館蔵 モースのみた日本 モース・コレクション[民具編] 構成:小西四郎+田辺 悟』という二冊の本を読んだ。前者は1983(昭和58)年が初版、私の所持しているのは、2005(平成17)年…
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幕末、明治期の日本人の男の裸のいとおしさ

(その1) 今年(2013年)の4月から6月にかけて上野の国立科学博物館で催された「からだが語る『大江戸』の文化 江戸人展」を観た。江戸期の日本人の男たちの裸が見られるのではという期待があった。期待に違(たが)わない、むしろそれ以上の収穫だった。(会期は6.16(日)まで)  4月上旬に最初に行った時はカメラを持っていなかったが、展…
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自由民主党の「日本国憲法改正草案」批判とエロス(色情)

 自由民主党の「日本国憲法改正草案」(平成24年4月27日 決定)と「日本国憲法改正草案 Q&A」を読んだ。ことに後者の「・・・草案Q&A」は大部でインターネット上のページをプリントするのにもかなりの時間を要した。  (前文)も含め、全体を通してまず感じたのは、国家が前面に出て、憲法によって国民を枠の中に入れそれに従わせようという意図…
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東京を撮った円谷順一

 2007年に入手した円谷順一(えんや・じゅんいち。通称 大阪のおっちゃん。 1971《昭和46》年10月死去。享年54歳)のアルバムの中の一冊を見ていた時、それまでは特に見なかった何枚かの写真の裏に、円谷の手で簡略にメモが記されていることに気づいた。(それぞれの写真の上の一部分にだけ糊付けされていることが多いために、裏を見ることは割に…
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1971年の円谷順一

1971《昭和46》年は、写真家円谷順一(えんや・じゅんいち)(通称 大阪のおっちゃん。大阪府枚方(ひらかた)市に住む)が亡くなった年だ。(同年10月12日、胃がんにより死去。享年54歳) 同じ年の5月と8月に彼が東京で撮影した写真を、私は今年(2012年)の6月に入手した。写真の裏に、「46.5 東京三社祭」、「46.8 東京 …
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田中慎弥(たなか・しんや)著『共喰い』を食(は)む

(その5) (最終回) 円の葬儀後の、本作の最後に近い場面で、遠馬は千種に対し「もうやらんけえ」と言う。これからはもう千種に暴力は振るわないという遠馬の言葉は、少なくともこの時点では彼なりの本心だと考えていいだろう。実の父親が実の母親の手によって殺害されるという異常な事態の渦中に置かれているのだから。それでもなお、私はどこかしら取っ…
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田中慎弥(たなか・しんや)著『共喰い』を食(は)む

(その4) 視点が変わるが、本作の特異性の一つは、時間の流れについて作者の執拗なまなざしが感じられることだろう。川辺を流れる時間は、滞ったり、遠回りしたり追い越したり、止めたり殺したりも出来そうになったり、熱で崩れて、溶け出しそうになったり、太ったりしたりと、何かもう一つの物質めいて、川辺の風物や人々の暮らしの中に深く浸透し、それらと…
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田中慎弥(たなか・しんや)著『共喰い』を食(は)む

(その3) 私自身の体験になる。もう何十年も過去のことだが、その頃関係していた年上の男に交合のさなか、それ程強くはなかったが、一度いきなり頬を張られたことがある。私はややむっとした。男は「それなら、別れようか」と言い、更に「おまえが余り俺のものだというから・・・」と付け加えた。 特に怒りを覚えたというほどではなかったが、叩くなら…
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田中慎弥(たなか・しんや)著『共喰い』を食(は)む

(その2) 一方、息子の遠馬には私はまるきりというくらい色情が起こらない。遠馬の体や顔については一つも記述されていないため取っ掛かりがないという面もあるにしても、作品全体を通しても私は彼には欲情を覚えない。別段、私がもともと年配の男が好きで、17歳の若者には惹かれないからという訳ではない(笑)。私の好みの対象には老若の差はまずない…
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田中慎弥(たなか・しんや)著『共喰い』を食(は)む

(その1)  第146回芥川賞を受賞した本作を当ブログに取り上げようと考えた最大の理由は、私(荻崎)が本作に登場する主人公篠垣遠馬(しのがき・とおま)の父親篠垣円(まどか)に色情を覚えたからだ。ちなみに、私は本作を「文芸春秋」2012年3月号で読んだ。作中、魚屋を営む母親の仁子(じんこ)(一緒ではなく近所に住んでいる)の年齢が60…
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風土の中の男の裸

海浜という風土や自然の中で働き生活する男たちの裸に強く惹かれることがある。多くは、彼らを撮った写真や、描いた絵画をとおしてだが・・・。 画面左上段の画像は、小関与四郎(こせき・よしろう)氏(1935《昭和10》年~)(千葉県在住)の写真集『九十九里浜』(2004《平成16》年 春風社刊)の中で、私が一番惹き付けられる作品だ。同写真集で…
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《伏見憲明小説園》を歩く

(その4) (最終回) 伏見憲明(ふしみ・のりあき)氏(1963~)の最新の小説第四作『百年の憂鬱』(「すばる」2011年9月号)は、「起承転結」の「結」に違(たが)わず、これまでの作品群の集大成的な趣(おもむき)がある。本ブログのタイトル<園>に重ね合わせると、第一作の本道や第二作の脇道、第三作の隠れ道を歩き、第一作より…
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