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(中編小説) 陶酔する水流の歳月

(第17回) (最終回)  川は右手に流れている。しばらく聞かなかった瀬音が思いの外(ほか)快い。「俺に向かって流れているつもりか」と、とがめる響きを持たない声が立つ。半分は予期していた。何も考えていなかった気もする。水の冷えが後押ししてくれることもありそうだ。誰に向かって流れていたのか、何十年というもの流れ続けた果てに、誰かいたのか…
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(中編小説) 陶酔する水流の歳月

(第16回)  牧島は新たな流れの前に立つ。「会えるかと思って、いつもより早く来た」と牧島が言う。「一度出したから・・・。朝から来ていた。もう帰る」と男は言う。さっき、「久し振りですね」と言って、立って軀を拭いていた男の尻に手を置いた。一ヵ月振りに来たが、この男の軀に有り付くのはまたしても先送りだ。一度だけ…
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(中編小説) 陶酔する水流の歳月

(第15回)  坂を下(くだ)って行った。なだらかな坂だった。もう何度も下ったことがあった。下った先に名の知れた池があることも無論分かっている。歩を運ぶごとに心地よさを覚える坂だった。歩きながら、そのつどどこか過去へ下っていくふうな、逆に未来へ降りていくふうな味わいも覚えたりする。というより、この現在の只中(ただなか)の、より奥へ更に…
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(中編小説) 陶酔する水流の歳月

(第14回)  外は十一月の雨が降っていた。十五年前、雨が降り、十五年先、雨が降る。三十五年先にも雨は降るか。そのたびに、なけなしの旨みととろみに有り付きながら、雨に見入っている牧島が見える。  また歩いていた。歩くしか能がないふうだった。川になって流れてもよかった。流れ続け、染み入ることができるなら、どこへでも流れていけばいい。川…
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(中編小説) 陶酔する水流の歳月

(第13回)  公園に来た。石の敷き詰められた川に水は流れていなかった。一ヵ月ほど前に来た時は雨が降っていた。雨だから水を流していないのかと始めは思ったが、石の柱が立つ東屋(あずまや)風の休憩所に掛けられた掲示に気づいた。雨のせいではなく、水を流す期間から外(はず)れていたためだった。この日も掲示どおり水は流れていない。滝の水も落ちて…
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(中編小説) 陶酔する水流の歳月

(第12回)  鉢の内側の底に、雪の紋が放射状に焼き付けられていた。雪は薄い灰色に見えた。ただ、一番底の芯の部分は空白だ。鉢の中ほどあたりの、底とは形の異なる濃い灰色の雪の紋は、内側を一周している。内側の底の空白の芯に横たわる香芝の真裸に臆せず近づいていくと、雪がいっせいに牧島に向かって吹き始めた。一歩近づくごとに、吹き募った。吹雪に…
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(中編小説) 陶酔する水流の歳月

(第11回)  不思議な夜だな、今まで何回となく通ったが、こうした光景は初めての気がする、とは考えたものの、牧島自身取り立ててこの状況にたじろぐことも驚くこともなかった。無論、夢を見ている訳ではさらさらなかった。覚め過ぎるくらい覚めて歩いていた。今まではただ気づかなかっただけかもしれなかった。覚め過ぎるほどだから見えたのかもしれない。…
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(中編小説) 陶酔する水流の歳月

(第10回)  香芝との間がずるずる離れていき、このまま見過ごせば今までよりもっと取り返しがつかなくなるという声が耳元を掠(かす)めるのを無視した訳ではなかったが、牧島は立ち上がらなかった。取り返しがつかないのは慣れているさ、と居直る思いも幾らかはあった。今までだって、いつも取り返しがつかないところからやり直している、と声がする。 …
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(中編小説) 陶酔する水流の歳月

(第9回)  別の日、別の通りを歩いていた。歩道の両側は銀杏(いちょう)の大木が続く並木になっている。車道を挟んで、両側が同じ形の並木だった。陽(ひ)は枝々にびっしり盛られた葉に遮られ、風が心地よく通り抜けていく。  牧島は歩道の端にほぼ等間隔に置かれているように見えるベンチに腰を下ろした。木のベンチだが手すりは鉄製だろうか、緑色の…
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(中編小説) 陶酔する水流の歳月

(第8回)  「おまえの尺八は死後格段に濃(こま)やかになりこくと切れが高まった。生前も並外れて熟達していたが。今のおまえの尺八には、生者であれ死者であれほかには誰も行き着くことのできない冴えがある」  香芝の言葉を受けて、《生前ここまでたどり着けずに申し訳ありませんでした》と尺八しつつ眼で香芝に伝える。それを受けて、香芝は右足を上…
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(中編小説) 陶酔する水流の歳月

(第7回)  幻だってかまわないさ。現し身でなくたって困らないよ。居場所などない方が清々する。長く生きていく中で、いつの頃からか、そんなふうに感じられるようになった気がする。現し身でなければ始めからこの世になんの義理もないんだから、自由に好きなようにやる。この身が欲しがるものを何に気兼ねもなく欲しいだけ欲しがるだけさ・・・。  展望…
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(中編小説) 陶酔する水流の歳月

(第6回)  標高は250メートルに届かない山頂だが、海に近い辺りから登り始めるので、数字以上に急な登りが多かった。と言っても登るばかりではなく、途中にはかなり長い下りもあって、ひょっとして道を間違えたかなと不安になるくらい、なかなか奥が深いと何度も感心しながらの歩きだった。  山頂に建つ展望塔からの眺望は文句のつけようがなかった。…
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(中編小説) 陶酔する水流の歳月

(第5回)  見たばかりの、磁器の内側に絵付けされた薄墨や吹き重ねの植物の文様を、早速、手に入れたばかりの男の肌に入念に描(えが)いてみる。効果がじわじわ現れ、男が一歩深みからうれしがり、真っ芯で反り返る。それを牧島の舌も手も一滴零さず掬(すく)い取る。 また更に、数日前に手にした、立て掛けられた二枚の障子の表に、桜の花弁を模し…
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(中編小説) 陶酔する水流の歳月

(第4回)  これからもあてどなく流れるのか、あてどなど初めからある訳がないという声を受け止める。そんなことは分かっていた、か。違うやり方がある、それもある訳ないか、別の道に迷い込むことだってあるさ、その声は何十年も聞いてきたが、別の道はもっとなかった。  十歳を少し越えた頃か、行く手がぼやけていればいるほどくきやかに見えた。見えな…
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(中編小説) 陶酔する水流の歳月

(第3回)  「洗っているから・・・」、一度目と同じシャワーを使いながら、日を経て浜坂が二度目に口にした同じ言葉から、牧島を突き飛ばす苛立たしさは抜け、静まっていたのに、その言葉を聞くそばから浜坂が跡形もなく消え去っていたとしたら、これからどこへ向かえばいいのか、行き場はまだ見つかるのかと牧島は子供じみて問い返す。問う相手など今までも…
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(中編小説) 陶酔する水流の歳月

(第2回)  ひんやり澄んだ渓流の水面に現れた男が、「おまえはよく流れる」と言う。香芝のはずが岡原に見えた。「雪などひとひらも降っていないのに」と牧島は声に出しそうになる。「おまえにできるのは俺に届かない所を流れるだけだ。四十何年経っても何も生まなかったな」岡原が淡々と追い打ちをかけた。風の音だったらもっと風の行く手を追ったかもしれな…
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(中編小説) 陶酔する水流の歳月

(第1回)  よく流れる、おまえはよく流れる、という声が聞こえた。聞こえたことにした。水が流れていた。そんな声が聞こえる訳がないとあっさり片付けるより、声は耳元を通さず伝わってくることだってあるさと牧島(まきしま)は渓流に眼を向けた。流れの真ん中に近いほど濃緑色が青みを帯びていき、更に飛沫の白が溶け合っている。白く細やかな波頭が一斉に…
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(短編小説) 記憶の吊橋

(その12) (最終回) 《無論、露原は生きているし、俺は必ず露原に会う。それがいつになるかは分からないが、必ずどこかで露原に出合い、露原のあの火照る最上の肌身を手中にする。何があっても、俺がおまえにきっと叶えさせてやる・・・》そう何度も自身に言い聞かせながら、埼宮は更に二度、三度ゆっくり吊橋を往復した。  小学生の時に渡ることがで…
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(短編小説) 記憶の吊橋

(その11) 「昨日も聞いたけど、今はどこに住んでいるの?」 「おまえの知らない所さ」 「せめて住んでいる街の名前ぐらい知りたいんだ。知ったからどうしようということではないんだ」 「知らない方がいい・・・」 「この吊橋を渡って、露原の声が聞こえてくるそっちの対岸の山の土をもう一度踏めば、いつか必ずどこかで露原に会えるような気が…
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(短編小説) 記憶の吊橋

(その10)  西側に当たる対岸の山並みの向こうに隠れ気味の陽が、吊橋から一歩離れた埼宮の顔に射した。埼宮はさき程実際に土を踏んだ対岸の山肌に、人影の動く気配を強引に採り集めた。 「露原、やはりそこにいたんだ・・・昨日は釜無川、今日は尾白川渓谷・・・多分会えると思っていた・・・」 「おまえが無理やり俺をここに誘(おび)き出したんだ…
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(短編小説) 記憶の吊橋

(その9)  埼宮にはいつの頃からか、例えば男たちと肌を重ね欲情を解き放つ場面で、垂直に果てしもなく落下していく感覚と、同時に、水平に先へ先へとどこまでも伸び広がっていく感覚が混じり合うように感じられた。これら二種の感覚の最も大きな源は、もしかすると、小学生時分のこの地の周囲の景観も含めた吊橋での体験にあるのではと、埼宮は今改めて思っ…
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(短編小説) 記憶の吊橋

(その8)  埼宮は一歩一歩ゆっくり歩いて橋を渡り切り、対岸の山の土を踏んだ。小学生の時に来たあの日には、やっと二、三歩踏み出しただけで足の竦(すく)んだ橋を渡り切り、眼に収めたきり記憶の中の暗がりで数十年を越えて鬱然と立ちはだかっていた対岸の山を今、直(じか)に足で踏んでいた。「甲斐駒黒戸口尾根登山道」「尾白川渓谷道」の二つの道標が…
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(短編小説) 記憶の吊橋

(その7)  タクシーを降りたかなり広めの駐車場から山道を歩き、10分とかからない場所に吊橋があった。ワイヤーロープや木の板、鉄板などを用い、頑丈に作られていた。それでも橋板の上に立つと少し揺れた。幅は1メートル程で、橋全体は黒褐色に見えた。下を尾白川が流れ、川底は薄ら青味を帯びている。川床には白っぽい大きめな石が多かった。  埼宮…
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(短編小説) 記憶の吊橋

(その6)  あわよくばその男とどこか似通う男に、この釜無川のほとりにある温泉で出くわすことだって、満更有り得ないとは言えないのではと思いつつ、埼宮は武智鉱泉への坂を上った。三棟のどれも二階建ての小振りな建物から成っていた。が、無情にも、建物は閉ざされ、玄関口に本日休業の札が出ていた。臨時休業の札もあった。たまたまこの日が休みの曜日に…
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(短編小説) 記憶の吊橋

(その5)  川音が勢いを増した。風が下流に向って通り抜け、薄の原がひとしきりざわめいた。埼宮はもう一度川に手を浸してから土手を上がり、車に戻った。  再び釜無川に沿って下った。視野がやや広がり、向こうに集落の見える辺りまで来て、左手の小高い所に建っている武智(たけち)鉱泉と記された建物の近くで埼宮は車を降りた。さっきここを通った時…
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(短編小説) 記憶の吊橋

(その4) 「何年も会えなかったのに、こんな所で露原と会えるなんて・・・」埼宮は男の見開かれた眼に直(じか)に言葉を発した。 「おまえこそどうして今、この渓谷に来ているんだ。おまえは確か、埼宮・・・」 川音に流されることなく、男の声が届いた。 「名前を覚えていてくれたのか。東京でも横浜でもどこへ行っても会えなかったのに、思いも寄…
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(短編小説) 記憶の吊橋

(その3)  だいぶ戻り、再び舗装路になり、少し走らせた辺りで、埼宮は車を降りた。車を停めるのには好都合なかなり広い平坦な場所だった。埼宮は土手を降り川原に立った。さほど水量は多くはなかったが、水は澄み切っていた。手を浸(ひた)すと、予測した通り冷たかった。  子供の頃、もう少し下流だったが、二、三度泳いだことも含め、釜無川の水の冷…
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(短編小説) 記憶の吊橋

(その2)  普段、むしろ時に臆病なくらい慎重でいながら、時折、自分をふっと投げ出してしまうような行動に走ったりする気質が、幼い自分からそうした行為に既に現われていたと、今、埼宮は改めて感じる。ぐらつく足場のはるか下方に穿(うが)たれた、吸い込まれそうな谷川と、両岸、特に向こう岸に立ちはだかるしんと静まった暗緑色の山肌。その光景が埼宮…
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(短編小説) 記憶の吊橋

(その1)  釜無(かまなし)渓谷の奥へと道は通じていた。釜無川に沿う道は、途中から舗装が切れ、凸凹(でこぼこ)し波を打つ土や石ころが剥き出しになっている。埼宮(さきみや)はレンタカーの速度を一層落とした。右手の山並みは、採石のためか、山肌を何箇所も削り取られていた。左手の川原(かわら)にも、砂を採取されている場所が少なくなかった。工…
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(短編小説) 金色(きんいろ)の光の道

(その17)(最終回)  入笠山(にゅうかさやま)の入り日を思い起こし、それに重ねながら、山越え阿弥陀の姿と円光を心の裡(うち)で観想し、その光をあふれさせ、更にその光をどこまでも純化し切った果てで、その向こうから生身の芝岡かふっと現れる・・・。芝岡を想い限りもなく想い続けた極みで、当の芝岡に到達する…。芝岡を想う仕方は色々あるだろう…
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