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zoom RSS 三島由紀夫の内的風景

<<   作成日時 : 2007/08/17 16:15   >>

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 2007年8月17日
 第11回  

 「荒野」からの声  (その10)

 おおよそ四年後に迎え入れることになる現実の死そのままではないにしても、『荒野より』を書きつつ、三島は自身の死の形や有り様(よう)を見透かしていたのではないか、と私は思う。
 三島はこの作品を書き上げた時点から死を迎えるまでのほぼ四年の間、何度となく、この青年のことを思い浮かべたに違いない。そして自分の裡(うち)で、彼に語りかけただろう。
 君が聞きたかったことは始めから分かっていたよ。私が君と同じように同性愛者かどうかを聞きたかったんだろう?もう君に面と向かって答える機会は失われたが、今なら答えてやるよ。そうだよ。私も君と同様同性愛者の一人だよ。これが、君が話してくれといった「本当のこと」だ。
 ただ、それはそれとして、君はこれからも、どれほど深い孤独と荒野の中を彷徨わなければならないにしても、同性愛者として生き抜く道を選ばなくてはいけないよ。
 私は恐らく死ぬほうを選ぶことになるだろうけれど・・・。

 最後の小説『豊饒の海』の第四巻(最終巻)『天人五衰』を三島は次のような文章で閉じた。
「そのほかには何一つ音とてなく、寂寞(じゃくまく)を極めてゐる。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ自分は来てしまったと本田は思った。庭は夏の日ざかりを浴びてしんとしてゐる。・・・」
 更にその少し前には次のような表現がある。
「それなら勲もゐなかったことになる・・・(中略)その上、ひょっとすると、この私ですらも・・・」

 『豊饒の海』を完成させた日、1970(昭和45)年11月25日、三島は「楯の会」の若者たち四名と共に、自衛隊市ヶ谷駐屯地に向かう。そして割腹し、自害するという形で、自らの生を閉じた。
 己の存在を含め、この世の在りと在る一切は幻影すなわち無なのだ、というごまかしようのない認識を受け入れた後、三島は、最終的に自らの手で自身を消滅させる道を選んだ。
 

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