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zoom RSS ふたりとも好みの男という時

<<   作成日時 : 2015/09/06 17:51   >>

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画像 (その1)
私が所持しているゲイ・アートのコレクション(絵画や写真など)の中で、同一画面の中で描かれている、あるいは撮られている二人の男たちが、ともに私の好みだという作品が2点ある。(今回は、円谷順一(大阪のおっちゃん)の写真は除きます)。(ちなみに、同一画面の中の、三人或いはそれ以上の男たちがすべて好みだという作品は見つからない)
 その中の1点、左上の画像は、内藤ルネ(1932《昭和7》〜2007《平成19》)が佐原サムの名で、「薔薇族」1980《昭和55》年4月号に載せた作品の原画だ。「桜吹雪万華鏡」というタイトルで載っている6点の中の1点で、本作は「昭和初年は春の暮れ」と題されている。(誌面では一部彩色も施されているが、原画は白黒の鉛筆画で、「昭和初年は・・・」の題も書かれていない)。
 爛漫(らんまん)と咲き誇り舞い散る桜花の下(もと)、壮年に差しかかったとおぼしい男(三十代か)が、側臥(そくが)する若者(二十歳前後か)を後ろから抱く格好だ。若者は褌一丁。年上の男も、若者の四肢に隠れているため不明だが、恐らく褌一丁ではないか。揃(そろ)いの白の無地の褌かもしれない。
 年上の男がかぶっている帽子は、軍帽か。本画像ではよく見えないが、原画では(誌面でも)、帽子に星型の徽章(きしょう)が付いている。(軍帽について私(荻崎)には何の知識もなかったが、インターネットで調べたところ、大日本帝国陸軍の軍帽には、五芒星(ごぼうせい)が刺繍されていたとのこと)
それらも含め、題になっている「昭和初年は・・・」という言葉から、私はこの年上の男は、青年将校ではないかと想像する。五・一五事件《昭和7》(奇しくも内藤ルネが生誕した年だが)や二・二六事件《昭和11》に関わった青年将校に連なるような・・・。単なる私の空想であることも含めてだか、或いは作者本人も同種の事柄を連想しながらこの作品を描いたかもしれない。
 更に想像すると、私の中で、本画像の二人の男たちは、三島由紀夫(1925《大正14》〜1970《昭和45》)の最後の小説『豊饒の海』(全四巻)の第二巻「奔馬」に登場する堀陸軍歩兵中尉と「奔馬」の主役である飯沼勲に重なる。言うまでもなく、軍帽の年上の男が堀陸軍歩兵中尉、若者が飯沼勲。
 とは言え、実際の「奔馬」の中で、二人の男たちがこの画像のように裸で絡む場面がある訳ではない。あくまで私一個の妄想だ。「奔馬」に限らす、『豊饒の海』全体の中で、男同士の性愛の場面は全く見当たらない。これは偶然そうなったというより、作者が初めから意図的に排除したからだと私は考える。
 その代わりという訳ではないだろうが(!)、第三巻「暁の寺」の中で、久松慶子とジン・ジャン(月光姫)という二人の女性の性愛の場面が書かれている。
 作者は自身の最後の作品となる『豊饒の海』には、己(おのれ)の生来の性愛の有り様(よう)はほんの少しも残さないという形で、実の生の最後を締めくくることを選んだ。自身の死後、ひとつには残される家族のことも思い、父親であリ夫である自身の性愛の姿を対社会的には可能な限り消し去ろうと欲したのかもしれない。
(よく知られた事実だが、最終巻「天人五衰」を書き終えた、1970《昭和45》年11月25日、三島由紀夫は「楯の会」の若者たち4名とともに自衛隊市ヶ谷駐屯地に向かい、割腹し自害することで自らの生を閉じた)
 
 内藤ルネ(佐原サム)は、上記「昭和初年は・・・」で自らが描いている二人の男たちを、私と同じく、堀陸軍歩兵中尉と飯沼勲の姿に重ねていたのではないかというのが、私の更なる妄想だ。何の根拠もなく、画家も亡くなった今となっては尚更確かめようもないだろうが。
ただ、「奔馬」も含め『豊饒の海』全部を内藤ルネが読んでいたことは充分考えられるだろう。

 
 ここまで書き終えてから目にしたのだが、「薔薇族」1993《平成5》年5月号に掲載されている、内藤ルネの「M氏の夢のコレクション・12」という文章の中に、三島由紀夫の生前、内藤本人が、芸術座で上演された「春の雪」(『豊饒の海』の第一巻)を見たこと、更にそれより以前、別の劇場のロビーで三島と言葉を交わしたことなどが書かれている。この文章全体から、内藤ルネの三島由紀夫に対する傾倒が伝わってくる。
 この事実からも、内藤ルネは、少なくとも、上記「昭和初年は春の暮れ」を描く前の時点で、『豊饒の海』(全四巻)をまず間違いなく読んでいただろうと私は推測する。
 更に付け加えたい。私の手元に地元の図書館から借りた、三島由紀夫全集18巻(「春の雪」と「奔馬」が載る)と19巻(「暁の寺」と「天人五衰」が載る)(新潮社刊)がある。18巻は昭和48《 1973》年7月に、19巻は同年8月に刊行されている。
 当ブログを書くに当たって、私は改めて『豊饒の海』のどの巻も読んではいない。(まして全体は・・・)(なにしろ長い・・・)(!) (過去に、確か二度読んだが)
 ただ、18巻「奔馬」の解題に、「神兵隊事件をはじめとする昭和六・七年ころの国家主義運動が背景となっており・・・」と書かれている。上記のタイトル「昭和初年は・・・」の「昭和初年」を私はこの解題を目にするまで、昭和元年(1年)だと単純に捉えていた。(昭和元年の何に興味があったのだろうとは思いつつも・・・)
 「奔馬」の中の特に飯沼勲の年齢が改めて気になり、18巻のページをぱらぱら繰(く)っていて、彼は大正3《1914》年生まれで、「奔馬」の中では18、9歳ほどに設定されていることを確認した。となると、昭和1年では12歳位になり、「奔馬」の中味とも本画像の顔つきともそぐわない。
 「初年」を改めて辞書で確認すると、元年(1年)の意味だけでなく、もう少し広く初めの頃の年も指すことが書かれている。そうすると、解題にある昭和六・七年ころも昭和初年と捉えてもいいだろう。大正3年生まれの飯沼勲はちょうど18、9歳頃になり、本画像から受ける印象ともほぼ重なる。
 とは言え、仮に本画像の中の若者が飯沼勲をモデルにしていると言えたとしても、それだけでもう一方の年上の男が、数多い「奔馬」の中の男たちの中で、堀陸軍歩兵中尉だとする根拠には無論ならない。ただ、物語の展開の中で、飯沼勲に配する男としては、内藤ルネにとってもやはり堀陸軍歩兵中尉だろうというのが、直感も含め、私の認識だ。(上述したように、実際の「奔馬」の中には、二人の男たちの性愛を匂わせる場面はかけらも見当たらない)(少なくとも表の叙述の上では)
 ともあれ、これらの見立ては、すべて確定的な論拠は何も見当たらない(少なくとも現時点では)上での、私の推論の域を越えるものではない。

三島由紀夫の内的風景 「荒野」からの声(その1)〜(その14)(最終回)

アートに欲情しよう! (その10) 内藤ルネの巻

自由民主党の「日本国憲法改正草案」批判とエロス(色情)

これらの私のブログを参照していただけたらと思います。なお、これらのブログは「昭和初年は春の暮れ」の原画を私が入手する以前に書いたものです。

 視点を変えよう。「昭和初年は春の暮れ」の画面の二人の男たちは、このブログのタイトルのようにともに私の好みではあるものの、軍帽をかぶった年上のほうに、私はより強く惹かれる。
意志の強そうな渋さの中に、どこかしら細やかな情をたたえている風な顔立ちが色っぽい。口元の細めの髭も似合っている。
若者の初々しい表情と、伸びやかに締まった厚めの四肢も申し分ないが、私としては、年上の男のやや上向きにがちりと締まった筈(はず)の尻も(叶うなら両たぶが)あらわに見える構図だったら、申し分ないのだが・・・。
 おまえの好みなどにいちいち付き合ってはいられないよ、という作者の声が聞こえてきそうだが・・・(笑)

書き始めたら長くなってしまい、二回に分けることにしました。
前回の更新から、7ヵ月以上経ち、いつもながら、忘れられた頃の更新という形になってしまいました。お読みいただいた方々に感謝。

(2015.9.6)
 



 



 

 
  

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちは
 この絵のように寝転んだ人たちを、以前、実際に見たことがあります。もちろん着衣ですが、中山競馬場の芝生の観客の中で、先輩後輩と思われる二人がこのように並んで寝転び、手がだんだん股間へ行きました。ノンケでは、白昼堂々当たり前なのでしょうか。後輩は、されるままでした。

 年上のモデルに良く似た方を、もう一人知っています。
 内藤さんが実際にモデルにしたかはわかりませんが、よく知っていたとは思います。
 その人は、故 新宿二丁目振興会副会長で、「琉風花/ルフカ」や「ポパイ」の店主だった隼人(ハヤト)さんです。美少年クラブといわれた某店で若くしてデビューし、独立後も繁盛していました。教養もあった方で、2ちゃんねるでお店の名前を検索すると、今でも出てきます。新宿二丁目で伝説的な美青年だった方です。内藤さんも藤田さんも、よく知っていたと思います。

 そのハヤトさんが書き残した言葉です。

『 悩んでも、俺はホモ 』。

 重い言葉ですね。
G7
2016/04/13 18:49
G7様
コメントありがとうございます。
隼人さん、残念ながら私は知りませんでした。
写真、画像などがあれば、ぜひ見たいところです・・・。、
荻崎正広
2016/04/15 16:17

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