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zoom RSS (中編小説) 陶酔する水流の歳月

<<   作成日時 : 2017/07/29 01:48   >>

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(第13回)
 公園に来た。石の敷き詰められた川に水は流れていなかった。一ヵ月ほど前に来た時は雨が降っていた。雨だから水を流していないのかと始めは思ったが、石の柱が立つ東屋(あずまや)風の休憩所に掛けられた掲示に気づいた。雨のせいではなく、水を流す期間から外(はず)れていたためだった。この日も掲示どおり水は流れていない。滝の水も落ちていない。だいぶ前になるが、最初に訪れた日は、運よく水の流れる期間に属していた。
 水が無く動きと潤いに欠ける分、木々と石組に思いを向ければよかった。十一月も半ばだったが、木々の紅葉の盛りにはまだ間があった。薄っすら黄ばみ、赤みを帯び始めている。「おまえは俺の尻の内側に敷き詰められた旨(うま)みととろみなしには生きていけない」という声が鳥の声と同じ高さから聞こえる。その声も鳥の声と同じ自然の一部になろうとしている。程なく七十を越えて一段と高齢になるほど、鳥の声に近づき、やがて同じになるだろう。
 大きめの石に片足を置き、尻をぐいと突き出すと、水は流れていないのに同じ声に潤いが加わった。この旨みととろみなしにおまえが生きられる訳がないという別の声が、鳥の声の後を追った。曇り空だが、雨は落ちていない。木の葉が時折舞い落ちる。
 この極上(ごくじょう)の旨みととろみが牧島の軀の芯まで染み渡るようになったのはいつからだったか。何十年も前からのようにも、せいぜい十年、ひょっとすると五年くらい前からのようにも思えるものの、また別の鳥が鳴き、異なる木から葉がひらり落ちると、何年前からだろうがそんなことに何ほどの違いもなくなり、別のもっと大きな石に片足を乗せ、一段と尻を突き出すや、手つかずの旨みととろみが一歩先に立ち、牧島を果てもなく導いてくれた。
 旨みもとろみも両の尻たぶを両手で割る手触りも、牧島を道ずれに、果てへ更に果てへと向かい、いずれこの世とあの世の境目が消える所にたどり着くのは分かっていた。その境目自体も消え、一切が消え、牧島も消え、ただ、旨みととろみと両手に残る締まった尻の肉の感触だけが茫々とどこへともなく果てもなく流れていく。それも分かっていると思った。
 この旨みやとろみや尻たぶの手触りと対極にあるものは何だろうという、唐突なようでいて耳馴(な)れた思念がどこをともなく一筋流れた。牧島には人々が営む「社会」も「生活」も「勤労」も有りとあるものが対極だった。
 取って付けたような、酔狂なことを考える奴だという声が立たない訳ではなかったものの、取り立てて牧島自身を冷やかしたり茶化してやろうという案配でもないふうだった。そうした対極にあるものに照らされると、こうした旨みやとろみなどまたたくまに霧散してしまいそうにはかなげでいて、実の所、一段と手がつけられないほどこくと厚みを増すことを牧島は知り過ぎていた。始めから。恐らく少年の頃から、直感的に。
 それで、と促された。「社会」も「生活」も「勤労」もいずれ消失し、極上の旨みととろみだけが彗星となって一筋青い光を引いてどこへともなく茫々と流れ続ける・・・。やがて、これでもういい、と果てる。果てる時はいずれ来る。だから悲観することはない、と牧島は声を受け留める。
 牧島は歩き始めた。この日この足が向かう所があるのは文句なくいいことだった。歩きさえすれば、いつかもっと途方もない旨みととろみと陶酔に行き着く。恐らく。確証はない。八十、九十、百、百十、と歩き続け、行き倒れになっても何もかまわない。歩き続けていれば、そうした思いを自然の風に身を預けるように受け入れられる。

(2017.7.29)

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