日本の男たちの尻をさかのぼるーその蕩(とろ)けと安らぎ

画像(その4)(最終回) 鎌倉時代と、下(くだ)って近代の北村西望の、彫刻の中の尻と顔
 もう1年半以上前になるが、2017年11月下旬、上野の東京国立博物館で「運慶」展(興福寺中金堂再建記念特別展)を見た。中でも、一番見たかったのが、「龍燈鬼立像」(りゅうとうきりゅうぞう)の後ろ姿、取り分け、その尻だった。(画面左一番上の画像)(左二番目の画像は、同像の正面)
 ぐるっと回る形で後ろ姿も見られる展示になっていることは、当展のHPなどであらかじめ知っていた。訪れた当日、現物をじっくり味わったものの、見終わって売店で図録を見た折、ぱらぱらと大雑把
画像に見たせいもあって、この尻が載っているページを見落としてしまった。なんだ、一番見たいものが載っていないのか、それなら購入はやめておこうと、高価なこともあって(3000円)、結局、買わなかった。
その後、ある友人宅で当の図録を見せてもらった際、本像の後ろ姿が載っていることを知った。(その友人はこの後ろ姿が載っていることを知っていて、私(荻崎)に告げてくれた)
そうした経緯があって、3ヵ月ほど以前になる今年の3月上旬、当博物館入口のすぐ近くに建つミュージアムショップで、私はやっと本図録を入手した。私が「運慶」展を見てから、1年3ヵ月以上経っていたことになる。
(ちなみに、上から5段目までの画像は、すべてこの図録から私が撮ったものです)
「龍燈鬼立像」は、運慶(うんけい)(生年不詳~1223(貞応2))の三男と思われる康弁(こうべん)作。本像の像内に納められいてた紙片に健保3(1215)年、康弁作であることが記されていたという。康弁作の確かな作品はこの像だけとのこと。
「その筋肉表現は目を見張るものがある。間違いなく力士の筋肉を十分に観察して造ったもので、・・・」と図録に記されている。
尻(大臀筋(だいでんきん)か)や太もも、脛(すね)(画像では切れているが)などの、弾(はじ)き返されそうな筋肉の盛り上がりや引き締まり具合が圧巻(あっかん)。
(ちなみに、テレビ画像などで目にする、大形になった現代の力士たちの大半の体つきとは相当異なるようだ。ボディビルダーには、似た体形の男たちがいるのではないか)
本像は鬼という設定ではあるが、日本の力士の体の原点か・・・。私が足しげく訪れるハッテンサウナなどでも、ごくまれにだが、似た体つきの男を目にすることができる気がする。まず間違いなく私は手を出す(出していた)だろう。(その後の展開はともかく)(!)。とは言え、顔が目に入り、私の好みとは正反対というくらい余りに遠い場合は、あるいは手は出ないかもしれない・・・。
それはともかく、残念ながら本像の顔は、鬼とは言え、私の好みとは遠い。
画像
左三段目と四段目の画像は、「天燈鬼立像」(てんとうきりゅうぞう)の後ろ姿と正面。
図録の解説には、「天燈鬼と龍燈鬼は、対比的な表現に特色があるものの、筋肉の表わし方や構造技法に違いがあり、作者が異なる可能性もある。天燈鬼の作者については、康弁の兄弟とも想像できるだろう」と記されている。
天燈鬼の尻は、残念ながら衣類によって隠されている。とは言え、四段目の、筋骨隆々とした正面画像からも、龍燈鬼と遜色(そんしょく)ない尻ではない

画像かと私は想像する。顔は鬼とは言え、私の好みだ。気迫に満ち、男っぽく色気がある。

 左五段目の画像は、「十二神将立像」(じゅうにしんしょうりゅうぞう)のうちの「酉神」(ゆうしん)。「十二神将立像」は、その内の五軀(く)は東京国立博物館蔵、この酉神を含む七軀は東京・静嘉堂文庫(せいかどうぶんこ)美術館の所蔵。鎌倉時代、13世紀の制作。
酉は、十二支では鶏(とり)にあたる。図録の解説には、「十二軀の制作時期が大きく異なるとも思われ

画像ないため、いずれも安貞二年頃に制作された可能性が強い。その作者は、運慶の子息や周辺の慶派仏師を考えるべきだろう」と書かれている。安貞2年は1228年。
私はこの酉神の顔や体に惹(ひ)かれる。私の目には、四段目の天燈鬼立像の顔や体つきと少なからず似て見える。顔では、目や頬や口元の辺り。体では、胸や腰つきなどもどこかしら。「神」と「鬼」が似ているということになるが・・・。
 上記に関連し、天燈鬼立像の作者を康弁の兄弟と考えると、酉神の作者は運慶の子息、すなわち康弁の兄弟とも考えられ、両像の作者は同一人物だという可能性もあながち否定できないことになる。(例えば、図録に載る、康運(こううん)とか康勝(こうしょう))
両像を見比べれば見比べるほど、私には、同じ作者の作品ではないかと思われて仕方がない。両者の色っぽさの有り様(よう)が似通っている(!)
 無論、私にそれ以上のことを立証する力はないものの・・・。
それはそれとして、両像の作者が別人であったとしても、両像それぞれから私が感じ取る色っぽさには、当たり前だが、何の変りもない。
画像画像












 左六段目とその右の画像は、北村西望(きたむら・せいぼう)(1884《明治17》~1987《昭和62》)作の、「怒涛」(どとう)の正面と後ろ姿を撮ったもの。「怒涛」は
1915《大正4》年作。
野外に置かれていて、建物との間が狭いこともあって、確か、真後ろから撮ることはできなかった。
「怒涛」の顔は、私には、色気を感じ、惹かれる顔形の一つだ。男らしい可愛(かわい)げと生気あって、しかもなにかしら質朴な感がする。左五段目の「酉神」の顔とどこか似て見える。両手がちょうど尻の辺りで組まれていることもあって、見たい尻の形がよくわからないのが残念。
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左七段目とその右の画像は、同じく北村西望の「光に打たれる悪魔」という作品の正面と後ろ姿。1917《大正6》年作。設置位置は、上記「怒涛」との間に「晩鐘」(ばんしょう)という作品を挟み、やはり野外に置かれている。この彫刻は幸い、真後ろからも撮れた。
顔にはさほど惹かれないが(何しろ、悪魔だ(!)。男くさい野性味に相応の色気は感じるが)、尻の形は抜群だ。全身がややひねられているために、尻の形と量感がひときわ際(きわ)立っている。引き締まった左右の尻たぶが存分に盛り上がりつつ、ずしりと静まり、見る者の目と手をどこへともなく誘っている。
このような最上質の尻を手と舌で丸ごと直(じか)に存分に味わう歓(よろこ)びが、現にこの世にあったっていいだろう、などという思いに連れて行かれると、最後にはどこかへ行き着くのか、それとも行き着くところなどどこにもないのか・・・。
 現に、おまえ自身、飽きることなく通っているハッテンサウナなどで、何十年もの間には、この尻と比べてもまず見劣りしない尻に、さすがにそう多くはないが、何度かは出くわし、有り付いているのではないか、という声が聞こえてくる。
そういう私が、現にどこかへ行き着いたのか。最後の最後までただただ欲しがり続けた果てに、どこかに、何かにたどり着くことができるのか、そんな所など初めからある訳(わけ)もないのか・・・。
 「光に打たれる悪魔」と肩を並べる、あわよくば凌駕(りょうが)する尻に、肝心な残りの生涯ひとつでも多く有り付きたい、そんなあからさまな欲念と妄念が私の視界全体にますます濛々(もうもう)と立ち込めていく・・・。何にどこに行き着くにしろ、何にもどこにも行き着かないにしろ、それらと真っ直ぐ向き合うしか手立てはない。当然ながら、そういう尻の持ち主の男の顔も、可能な限り確かめながらだが・・・。

 余談だが、上記の北村西望の彫刻が置かれている、東京都井の頭自然文化園彫刻園に、私はつごう三回行ったことになる。
一度目はもう何十年か前になる。『東京の花名所』(1990年 朝日新聞社刊)の中の、「井の頭恩賜公園」の説明の中に、井の頭自然文化園が触れられていて、この中に彫刻園があって、北村西望の作品が展示されていることを知った。どのような作品があるかまでは書かれていなかったが。
独立した、例えば北村西望彫刻館などという形ではないので、私が所持している何種かの美術館や博物館の案内書には、この彫刻園についてどれにも載っていなかった。そのためもあって、インターネットなどない時代(私がまだ知らない時代)、ここを知るのが遅れたことになる。
 二度目に訪れたのは五、六年前になるか。木下直之著『股間和歌集(こかんわかしゅう) 男の裸は芸術か』(2012年3月 新潮社刊)を読んだことがきっかけだった。(その前に、雑誌「芸術新潮」に連載されている時から読んでいたが)
この本の中に、上記の北村西望の作品三点がカラー写真で載っている。(P.32~P.33)
このページを見て、何十年か以前、ここに行った記憶がごくごく朧(おぼろ)げながら思い出された。

ちなみに、同書では、「大阪のオッチャン」についても言及している。
私自身、本ブログで、大阪のおっちゃん(本名 円谷順一(えんや・じゅんいち)
 1971(昭和46)年10月死去。享年54歳)について、これまでに、かなり多く書いている。
(比較的新しいものとして、以下の二つを載せました。参照していただけたらと思います)
更なる円谷順一(その1)~(その3)
「円谷順一」探訪行(その1)~(その6)

 井の頭自然文化園彫刻園を三度めに訪れたのが、今から一ヵ月半ほど前になる、この四月の半ば。上掲の画像はその時に撮ったもの。その時点では、今回のブログで用いようとは考えていなかったと思う。江戸時代から更にさかのぼって、鎌倉時代の彫刻について書こうと考えていたから。「酉神」と「怒涛」の顔がどこかしら似ていると感じたことがきっかけになって、北村西望の作品も取り上げようという流れになった。
取り分け、七段目右の尻の画像を載せられたことは、私自身にとって、うれしいことだ。

 なお、北村西望は、長崎市平和公園に置かれた「平和祈念像」の作者としても知られている。亡くなったのが1987(昭和62)年であることからも、現代の彫刻家と言っていいのだが、当ブログで取り上げた作品が、ともに大正時代に制作されたことから、タイトルには「近代」という語を用いた。

 (付記)
前回から、三ヵ月以上間(ま)が空きましたが、今回が最終回です。
現代から鎌倉時代までさかのぼり、また近現代に戻った形になりました。今回も長くなって恐縮です。
まだ何について書くかは決めていませんが、しばらく間を置いてから、新たに書こうと考えています。
また、尻についてだろう、という声が聞こえてきそうですが(!)

(2019.6.7)


 








































日本の男たちの尻をさかのぼるーその蕩(とろ)けと安らぎ

画像(その3) 江戸時代の絵画の中の、吸い寄せられる尻
(後半) 横山華山(よこやま・かざん)が描く尻

「横山華山 KAZAN A Superb Imagination at Work」と題された展覧会を、もう4ヵ月弱以前になるが、2018.11.10(土)に、東京ステーションギャラリーで観た。翌日には会期が終了するという危(あや)うい日だった。
(ちなみに、 Superbは、すばらしい、壮大な、優美な、などの意)
この展覧会が行われていることはかなり前から知っていたものの、まったくというくらい知らない画家だったこともあり、取り立てて観に行こうとは思わなかった。それが、観に行った日の二、三日前だったか、確か購読している新聞の記事を見た画像ことがきっかけで、上記ギャラリーのホームページを見た。そこに載っていたのが、左一段目と二段目に載せた作品だった。(同一の作品。一段目の画像は、人物の部分を拡大しています。二段目の画像も、元の作品の全体ではありません)
えっ、この作品が展示されているのか、会期が終わる寸前だ、危なかったな、気づいてよかった、とまず思った。
ただ、ホームページをよく見ると、各作品の展示期間が前期と後期に分かれていた。一瞬「えっ」と思ったが、幸いなことに、この作品は後期も展示されていることが分かった。芯(しん)からほっとした。加えて、数多い展示作品の中から、この作品をホームページに載せてくれたギャラリー側の担当者に感謝した。
(仮に画像が載っていなかった場合でも、出品リストには「夕顔棚納涼図」と題されて載っていたので、これに目が行ったら、間違いなく観に行っていただろう。ただ、果たして私(荻崎)がそれに気づくほどページをていねいに見たかどうか)
四段目に載せた「紅花図屏風」も載っていたが(当画像とは別の部分が)、前期のみの展示ですでに終わっていた。
更に、五段目に載せた「祇園祭礼図巻」が載っていたが(別の画像だったが)、これは前期、後期通しての展示だった。このタイトルに惹かれたこともあって、仮に、「夕顔棚納涼図」の展示が終わっていたとしても、おもにこの作品を観るために多分当展に足を運んでいた気がするが、確かな記憶はない。いずれにしても、「夕顔棚納涼図」を現に目にできたのは、好運だった。
 
 そうした私一個の経緯(いきさつ)はともかく、本展で購入した図録も含め、私にとっては未知の画家だった横山華山についておおよそを知ることができた。
生まれた年については、安永10(天明元)(1781)年と天明4(1784)年の二つの説があるようだ。亡くなったのは、天保8(1837)年。京都で画家生活を送った。
前回の(その2)(前半)「広重作品の中の尻」で取り上げた歌川広重、渓斎英泉、葛飾北斎などとほぼ同時代の、江戸時代後期の画家だ。
上記「夕顔棚納涼図」の描かれた年は不明だが、図録の解説によると、青年期に描かれたであろうとのこと。
「夕顔棚納涼図」と題された作品は何人かの画家によって描かれている。
私は以前(もう9年弱経つが)、当ブログに、『久隅守景「納涼図」幻想』を載せたが、この「納涼図」は、やはり「夕顔棚納涼図」とも呼ばれている。(三段目の画像) 
画像久隅守景(くすみ・もりかげ)は生没年は未詳だが、江戸時代前期の画家なので、三段目のこの「納涼図」のほうが描かれたのは早い。
そのブログでも書いたが、久隅守景の「納涼図」の中の男も、元々の作品では、一段目、二段目の「夕顔棚納涼図」の中の男と同様、褌(ふんどし)を締め、尻をむき出しにして涼んでいただろうと私は考える。それがこの時代の日本の男たちの納涼のごく自然な姿だっただろう。
一段目の男の尻と同様、むしろ男が羽織った襦袢(じゅばん)の腰や尻のあたりの様子からは、更に一まわり盛り上がっていたかもしれない・・・。それはともかく、横山華山が描いた一段目の男の尻も、日々の仕事もあずかっているのだろう(鍬(くわ)も描かれている)、締まって厚めのいい形に盛り上がり、見映えがする。白い太めの褌がその尻をきりりと、しかもしっとり引き締めている。
その左右の尻たぶを両手でぐっと抑えると、誘(さそ)い込みつつ、力強く弾(はじ)き返すだろう。私が足繫く訪れるハッテン・サウナでも、あるいはそれとは異なる場所(場面)でも、時折これとよく似た形の尻に出くわすことがあり、何十年もの間には、何度かじっくり心行くまで味わうことができた気がする・・・。
顔は、渋い男ぽさも含め、久隅守景の「納涼図」の男の方に、私はより惹かれる。

(横山華山作「夕顔棚納涼図」は、大英博物館所蔵)

当横山華山展は宮城展(2019年4月から6月にかけて)、京都展(2019年7月から8月にかけて)と巡回するようだ。ただ、これらの展覧会で本作が展示されるかどうか確認してはいない。いずれにせよ、本国の日本に再びやってくるのは、また何年か先のことだろう。
画像四段目の画像は、横山華山作「紅花屏風」(六曲一双)(山形美術館蔵)の右隻(うせき)の一部。ただ、本屏風は前期のみの展示だったために、残念ながら私は本作品を目にすることはできなかった。図録から私が一番惹かれた場面を撮った。
中でも、画面左下の、右足を桶(おけ)に入れている人物と、画面真ん中あたりの、向こう向きでしゃがんでいる人物に惹かれる。ともに褌姿。(小さくて見えにくく、恐縮です)
「紅花屏風」(六曲一双)は、右隻は文政6(1823)年作、左隻は文政8(1825)年作。本作品の制作のために、作者華山は紅花の産地である北関東や東北地方を巡る取材旅行をしているとのこと。また、当右隻は、断言はできないが、武州(ぶしゅう)紅花の産地であった、現在の埼玉県上尾市や桶川市を中心とした紅花生産の様子だろうとのことだ。(武州は武蔵国)
労働の場面だが、男たちの褌姿がふんだんに見える。暑い時期なのだろう。この時代の日本の男たちのごく日常的なありふれた姿だっのだ。汚れても洗うのが楽だっただろう(!)。やはり、褌は日本の男たちの体を引き立て、よく映える。
(本屏風は、華山が住む京都の紅花問屋から依頼されて描いたとのこと)

画像五段目の画像は、横山華山作「祇園祭礼図巻」下巻の一場面。本図巻上下二巻は天保6から8(1835~1837)年にかけて描かれたとのこと。華山最晩年の集大成となる大作。作者が暮らす京都の祇園祭を描いていて、歴史的資料としても、重要とのことだ。
本作品は前期後期通しての展示だったので、幸い実物を見ることができた。
上下二巻を合わせると、30メートルにもなるとのことで、会場に延々と(!)と、展示されていた。
当画像は、下巻の一場面。左下の、褌を締め、斜め上に顔を向けている人物に私は惹かれた。(当画像では見えにくくて恐縮です)
祇園祭ということで、褌姿の男たちが数えきれないほど登場している。四段目の紅花作業中の男たちの褌姿とはおのずから異なり、晴れの場の躍動感や高揚感に包まれている。両方とも捨てがたい。
(なお、本図巻は図録に所蔵について記されていないところから、個人蔵だと思われる)

上述したが、当の横山華山という画家を私はこれまでまったくというくらい知らなかった。姓や名が、渡辺崋山(寛政5(1793)年~天保12(1841)年)や横山大観(明治1(1868)年~昭和33(1958)年)と重なる点でも、割(わり)を食っていたかもしれない。中でも、高名な渡辺崋山は同じ画家で、しかもほぼ同時代人だ。
(ちなみに、横山華山の場合は「華」、渡辺崋山の場合は「崋」と、文字が使い分けられることが多いようだ)
ただ、図録の解説によると、近代になっても、明治から大正時代にかけては、相応に知られた画家だったようだ。
例えば、夏目漱石(慶応3(1867)年~大正5(1916)年)の『坊っちゃん』(明治39(1906)年)や『永日小品』(明治42(1909)年)の中で言及されているとのこと。
何十年ぶりかで、『坊っちゃん』を再読した。
主人公「坊っちゃん」の下宿先の骨董を商っている亭主が、「坊っちゃん」に絵を買うように勧める場面。
「・・・今度は華山(かざん)とか何とか云う男の花鳥の掛物をもって来た。・・・華山には二人ある、一人は何とか華山で、一人は何とか華山ですが、この幅(ふく)はその何とか華山の方だと、・・・」
亭主が勧めたのは、本図録でも指摘されているが、花鳥画というところからも、横山華山の絵のようだ。この当時、横山華山が地方の骨董商にも知られていたことがわかる。
(ちなみに、今回の展覧会でも花鳥画が何点か展示されていた)
(また、今回、私が読んだ『坊っちゃん』のテキストでは両者とも、「華」の字が用いられている)
深い霧が立ち籠(こ)めたような私の記憶の中に、誰の何という作品とも判別できないながら、「華山」の名がごく薄っすら残っていたようにも感じられるのは、この場面からだったようだ。
一方、『永日小品』を読むのは多分今回が初めてではないかと思う。基本的には、随筆集のようだ。「山鳥」という題がついている中の、ある青年が、一幅(いっぷく)の掛け軸を持ってきた場面。
「・・・印譜(いんぷ)をしらべて見ると、渡辺崋山にも横山華山にも似寄った落款(らっかん)がない。・・・」と書かれている。
(ちなみに、このテキストでは、「崋」と「華」が使い分けられている)

二人の「華(崋)山」の件からは離れるが、『坊っちゃん』の二章の書き出しの文章が、今回、強く印象に残った。
「ぶうと云って汽船がとまると、艀(はしけ)が岸を離れて、漕(こ)ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。尤(もっと)も此(この)熱さでは着物はきられまい。」
赤ふんどしの船頭の姿が私にはことのほか色っぽく映る。顔や尻の形、年齢など丸切り分からないながらも・・・。73才に達した今の私には、再読した『坊っちゃん』の全登場人物の中で、彼が一番いとおしく感じられる。
何十年か以前、初めて読んだとき、この個所について何か感じたかどうか、何の記憶もないが・・・。
(ちなみに、艀(はしけ)は、陸と停泊中の本船との間を、乗客や貨物を乗せて運ぶ船。艀船)(広辞苑参照)
主人公の目に「野蛮」と映ったのは、作者夏目漱石を含め、明治期の文明開化の時代の見方がなにがしか反映しているかもしれない。欧米の文化や風習に対比して、伝統的な日本のそれらを恥ずかしく劣ったものと考えるといった。

画像それはともかく、当ブログ前回「広重作品の中の尻」に載せた、三段目左の画像の中の、一番左の、やはり赤みを帯びた褌を締め、竿(さお)を握っている男と上記の船頭が、私の中でどこかしら重なる。(左画像参照)
広重作品は川(淀川)、『坊っちゃん』の中では海であることを始め、様々に異なるものの。江戸から明治へと時代は移っても、殊(こと)に地方ではかつての風習がまだ残されているという面もあったのだろう。

長くなってしまった。最後にもう一言。前回の歌川広重作品の中の男たちは、尻や体全体を含め、仕事の最中であれどこかしらしっとりと静やかであるのに対し、今回の横山華山の作品の中の男たちは、尻や総身をはじめ、活発で生きがいい。
ともに心(しん)からいとおしく感じられる。
ただ、湛(たた)えている色情の深さという点では、私は広重作品の方に傾く。

(付記)
次回は、最終回として、江戸時代より更にさかのぼった作品について書く予定です。

(2019.3.2)

























































日本の男たちの尻をさかのぼるーその蕩(とろ)けと安らぎ

画像(その2) 江戸時代の絵画の中の、吸い寄せられる尻
(前半) 広重作品の中の尻
歌川広重(うたがわ・ひろしげ)(1797《寛政9》~1858《安政5》)の作品には、褌(ふんどし)姿の男たちが数多く描かれている。駕籠舁(かごかき)や川渡しの人足(にんそく)や船頭(せんどう)などの男たちだ。東海道や木曽街道の宿駅なとで、そうした男たちの姿がよく目に入り、宿駅を印象づける一枚の絵にしやすいという面もあっただろうが、自身の体一つで力仕事をする男たちへの共感もあったのだろうと私(荻崎)は思う。
(ちなみに、広重は、本姓で安藤広重と呼ばれることもあるが、彼が属した歌川派を用いて歌川広重と記されることが近年は多いようだ)
左上段の作品は、「東海道五十三次」(保永堂(ほうえいどう)版(1833《天保4年》)の中の「庄野 白雨」(しょうの はくう)。よく知られた作品だが、私(荻崎)はこれまでに目にしたことのある広重の全作品の中で、以前から、この作品に最も強く惹(ひ)かれる。(庄野は、現在は三重県鈴鹿市。白雨は、夕立、にわか雨)
(ただ、当画像は、今号に載せたほかの画像も含め、元の作品の全体ではなく、私が取り分け惹かれる部分を主にしています)
中でも、後ろで駕籠を担(かつ)ぐ、どこかしら伸びやかさのある体形の男の、紺の衣類を尻端折り(しりはしょり)して剝(む)き出しになった、両の尻たぶにそそられる。もう一回りがっちりしていれば更に引き込まれるが・・・。
白雨のさなか、笠をかぶっているために、顔や頭の形はわからないが、まずまず好みの顔立ちだったら(!)、彼が一仕事終え、ほっと一人で休んでいる最中、濡(ぬ)れた体を拭いてやりながら、濡れた褌もさりげなく解(ほど)き、尻の芯にじっと舌を押し当ててから、尻の内側にじっくり舌を這わし、更に男根を深々とほおばる・・・。男は、「蕩(とろ)けそうだ・・・」と声を漏(も)らしつつ、一時(いっとき)であれ、心(しん)から安らいでくれるだろう・・・。

画像二段目左の画像は、広重の「東海道五十三次」の中で、私が二番目に惹かれる作品だ。「浜松 冬枯れの図」(保永堂版)。
(「保永堂版」に限らず、「狂歌入り」、「行書版」、「隷書版」、「堅絵(たてえ)」も含め)
左から二番目の、尻と背中を見せて立ちつつ焚火(たきび)に当たり、煙草(たばこ)をくゆらしているかなり高齢に見える男の、裸の後ろ姿を含め、どこかしら哀感を漂(ただよ)わせている佇(たたず)まいに惹かれる。
両の尻たぶの肉が薄く見えるのも、高齢に見える一因かもしれない。もう少しでいいから盛り上がっていれば、私としてはうれしいが・・・。
(高齢に見える要因の一つは薄くなったように見える頭髪の具合からだが、実のところ、この時代の日本の大人の男たちがどのような髪の刈り方をしていたのか、私にはほとんど分からない)

(ちなみに、上から一段目とこの二段目の画像は、地元の図書館で借りた、『歌川広重 東海道五十三次 五種競演』(2017年 阿部出版刊)に載るものを撮ったが、この本の中では、二段目の画面中央に立つ杉の大木の左にいる上記の男を含む四人の男たちは、駕籠舁きだと記されている)

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三段目左と右の画像は、「京都名所 淀川」。(同一の作品)。上記「東海道五十三次」(保永堂版)刊行の翌年、天保5(1834)年に刊行された「京都名所」の中の一枚。
自身が所持している、『原色日本の美術 17 浮世絵』(小学館 昭和50《1975》年刊)から撮った。左の画像は、元の作品のほぼ左半分をやや大きめに撮った。
この本の説明によると、「東海道五十三次」(保永堂版)制作のため、江戸生まれの広重が始めて京都に行った時に写生したものがもとになっているとのことだ。
京都から大坂までの旅に、淀川を上り下りする三十石船(こくぶね)を利用するのが、当時は常識だったとのこと。
前に2人、後ろに1人、それぞれ異なる仕草の船頭が描かれている。小さくて分かりにくくて恐縮だが、後ろの船頭のたたずまいが、上記「浜松 冬枯の図」の中で取り上げた煙草をくゆらしている男と似た印象を私は受ける。作者広重もそれを意識していたかどうか・・・。上記の画集で見ると、尻は「浜松」の男より、やや厚めの張りがあるようだ。
三人の船頭の中で(乗客たちや、画像では途中で切れているが、前景の小舟の物売りの人物も含め)、作者がこの作品全体の中心人物だと恐らく意識して描いていたは、やはり、一番前で体を右に傾けいている男だろうと思われる。
赤みを帯びた褌を締め、竿(さお)を両手で握っている。頭髪はともかく、日々の労働で鍛えられるのだろう、体全体にしなやかそうな張りがある。尻の両たぶも相応に盛り上がっている。

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四段目の左と右の画像は、「木曽街道六十九次」の中の、「塩なた」。
画像は地元の図書館から借りた、『浮世絵体系15 木曽街道六拾九次』(昭和51《1976》年 集英社刊)から撮った。  
「木曽街道六十九次」は上記「京都名所」の四年後の天保9(1838)年頃完成したようだ。全70図(中津川が2図)のうち、渓斎英泉(けいさい・えいせん)が24図を描き、残りの46図を広重が描いた。最初は英泉が描き、途中で広重に代わったようだ。上記「塩なた」は広重作。
広重は実際に木曽街道を旅し、その際に「木曽路写生帖」(大英博物館所蔵)を描いたようだ。
(渓斎英泉(寛政3(1791)年~嘉永1(1848)年)

木曽街道は中山(仙)道(なかせんどう)の別名。塩なた(塩名田)は現在は長野県佐久市に含まれている。本作品は、近くを流れる千曲川の渡船場の風景とのこと。描かれている男たちは船頭。
私が引き付けられるのは、(言わなくても分かるという声が聞こえそうだ)、左から二番目の男。やや丸みを帯びて張りのある尻が何とも色っぽい。
上記「浜松 冬枯れの図」の中の左から二番目の煙草をくゆらす男と(「京都名所 淀川」の一番後ろの船頭も含め)、頭や頭髪の形も含めよく似ていると私は感じる。作者広重もそれを意識していたかどうか。
「浜松の男は尻が薄めになってしまったが、この男の尻は一回りがっちり描いて、少し若返らせてやろう・・・」
ひょっとすると、作者はそう目論(もくろ)見つつ、描いたかもしれない・・・。
彼は船頭としても円熟し、棹(さお)をさす力もかなり強そうだ。
一日の仕事が終わり、一人暮らしの(!)彼がくつろぐ住まいを訪ね、尻や男根を始め、体中存分に味わいつくす・・・。「おまえの口や手をたっぷり使うと、仕事の疲れが芯からとれる。また使ってやるぞ・・・」と男は口にするに違いない。

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五段目の左と右の画像は、同じく、「木曽街道六十九次」の中の「須原」。広重作。須原は現在は長野県木曽郡大桑村に属している。
「突然の夕立にあわてて駕籠を傘がわりに駆け込む人足を前景に」、と上記『浮世絵体系15 木曽街道六拾九次』では説明されている。
夕立のさなか、褌姿で働く男たちが前景という点では、一段目の作品と共通している。最前景の男の、張りと肉の厚みのみなぎった尻には、見るたびに目を見張る。その点では、今号に載せた画像の中で一等だろう。そればかりか、広重作品、更には他の浮世絵画家の作品も含め(ともに、私が目にしたことのある作品の中では)、一番だと思う。壮年の働き盛りか。
ただ、改めてよく見ると、腹がやや出ているように見えるのは難点か(!)。
(画像では少し見えにくいが、上記画集(原寸)で確認すると、出ているのはやはり腹だ)
さすが広重、観察や描写に怜悧(れいり)で精確な面も、当然ながら持ち合わせている。

ハッテン・サウナで彼に出くわし(!)、隠されている顔が相応に私の好みだとしたら、間違いなく尻に手を出し存分に味わう。(彼が最終的に拒んだら、さすがにあきらめるが)
ちなみに私はもう何年か以前、原宿駅に近い太田記念美術館でこの作品を見たことがある。この男の尻の印象は私の記憶の中にずっと仕舞われていたものの、作者が広重だったか英泉だったかもおぼろになっていた。
今回、上記画集で広重作だと確認し、何かしらほっとした。

今号で私が言及した、取り分け張りと厚みのある尻を描いている際、作者広重自身、相応の快感(色情とまで言えるかどうか)を覚えたとしても、何の不思議もないだろうと私は思う。(無論、本当のところは不明だが)。その方が、絵にみずみずしさや張りや深みが生まれるに違いない。

例えば、「木曽街道六十九次」の中の、上記英泉の作品の中にも褌姿の男たちが何点か描かれているが、広重作品に感じるほどの艶(つや)や色気を私は覚えない。
また、広重や英泉とほぼ同時代の葛飾北斎(宝暦10《1760》年~嘉永2《1849》年)の作品にも、褌姿の男たちは数多く描かれているが(北斎漫画も含め)、「渋さ」は分かるものの、今号で取り上げた広重作品ほどは、艶(つや)や色情を私は覚えない。(私が目にしたことのある作品の中では)。
もっとも、広重作品の中の褌姿の男たちにも、取り立ててそうした思いを抱(いだ)かない作品も少なくはないが・・・。
 それはともかく、浮世絵作品の中で、日本の男たちの丸出しの色っぽい尻に出合えるのは、生身の尻との出合いとはまた異なり、うれしいことだ。

広重作品は名品ほど、人物(裸、着衣を問わず)と風景が静かに深く交合している、そんな感を私は抱(いだ)く。

 
最初の予定では、江戸時代の絵画の中の尻について一回で書くつもりだったが、長くなったので、前半と後半に分けることにした。
それから更にもう一回、合わせてもう二回書く予定です。

(2019.1.12)
































































日本の男たちの尻をさかのぼるーその蕩(とろ)けと安らぎ

画像(その1) 黒石寺蘇民祭の中の尻と顔
 今号の執筆のきっかけは、マーガレット(小倉東)氏が「ホモ本ブックカフェオカマルト」というツイッターの中で、【今日の転入生】末武保政『黒石寺蘇民祭』を取り上げていたことだった。(2018.7.20の号)
(この号の中では、「大黒寺」と誤記されているが、10.30の号で訂正されています)
ああ、こういう本があったんだとまず思った。岩手県の黒石寺蘇民祭には以前から関心があった。インターネットの画像を始め、後述する、矢頭保『裸祭り』という写真集も所持し、折に触れて何度となく目にしていた。
早速、インターネットで検索し、本書が入手可能なことを知り、アマゾンを通して取り寄せた。
『黒石寺蘇民祭』 末武保政(すえたけ・やすまさ)著 (昭和51(1976)年3月、文化総合出版刊)
本書の中には、数多くの写真が掲載されているが、撮ったのは佐々木稔(昭和10(1935)年生まれ)と本書の中に記されている。末武氏は水沢(現在は奥州)市、佐々木氏は奥州市に近い江刺市(現在は同じく奥州市と合併したようだ)在住とのこと。二人は地元の祭りについて著述し、写真に収めたことになる。
画面上段の画像は、上記【今日の転入生】の中に小倉氏も載せているが、本書に載っている多くの写真の中で、私(荻崎)が最も引き付けられたものだ。
口絵写真として使われている作品の一つで、本書巻末に、「蘇民袋争奪」(一)、(拝殿)と説明がある。(ただ、以下の画像同様、本書の中に印刷されている写真の全体ではありません)
取り分け、右から二番目の男の尻と顔がいい。日頃の仕事などで鍛えられているのかどうか、量感のある右の尻たぶが(右の二の腕も)、弾(はじ)き返すくらい、形よく盛り上がっている。尻全体の形が分かれば越したことはないが、そうなると一番右の男のように顔が分からなくなってしまうだろう。
地元の男かどうか、どこかしら質朴で意志の強そうな顔つきにも惹(ひ)かれる。
画像
二段目の画像は、本文の中に載っている作品(P.56)で、「蘇民袋争奪(その一)」と添えられている。一番右の男の締まった尻がいい。総身もこりこり締まっているようだ。

私は自身の好みのままに、上記の2点の画像を選んだが、本書には、仏像や建物も含め、黒石寺蘇民祭の全貌を伝え、残したいという、佐々木氏や末武氏の意思や願望を深く静かに伝える、数多くの様々な写真が掲載されている。
画像
三段目と四段目の画像は、矢頭保(やとう・たもつ)(1928《昭和3》年~1973《昭和48》年)の「裸祭り」(美術出版社 1969《昭和44》年刊)に載っている作品だ。
(矢頭保ついては、もう10年以上前になるが、当ブログ「アートに欲情しよう! (その8) 矢頭保の巻」でも取り上げています。三段目の画像も載せています。参照していただけたらと思う)



画像同じ裸祭りの渦中の男たちを撮っているが、矢頭の男たちの裸身からは、おのずから、一段と濃くしっとりした官能性が伝わってくる。
上記二つの書物の刊行年代からすると、矢頭が撮った方が何年か前ではと推測される。
三段目の、太い綱をつかむ男の、渾身の力を込め、しなる総身の筋肉という筋肉からから伝わってくる緊迫感は圧巻だ。本書の箱や表紙にも使われていることからも、矢頭にとっても最も愛着のある会心の作だっただろうと私は思う。
四段目の画像では、右上の男の、厚めに四角ぽく締まり盛り上がった尻の形が、もろに私の好みだ(!)。
画像
五段目の画像は、稲嶺啓一(東風 終《こち・しゅん》)の、「打ち寄せる裸群ー蘇民祭(黒石寺)(岩手県奥州市)」という写真だ。2002(平成14)年頃撮ったという。上述の写真に比べるとかなり新しいことになる。一番左前景の男の、しっとりと締まった尻の両たぶと腰へと流れる線と肌合いに色気がある。
私が運営している、「荻崎正広コレクション ゲイ・アートの家」でも展示している。(ホームページには、掲載されていません)

上記、末武保政著『黒石寺蘇民祭』の中に、「日本の裸祭りは、みそぎとか年占いとか、通過儀礼とか、祭りのお神輿かつぎとか、様々の姿で残されているが、これらの民俗のなかに男性の裸体を神聖なものと考えた古代信仰が、今も強く生き続けているのをみることが出来る。蘇民行事は、その呪術的な性格から年占いとか通過儀礼と結びつき裸祭りとなったものであろう。
岩手を別にすると、蘇民の祭りは、岡山西大寺の会陽(えよう)、大阪四天王寺の「どやどや」、福島県柳津(やないず)虚空蔵の裸詣りなど数える位しか残っていない。」(P.101)という文章がある。
また、本書の中に、黒石寺蘇民祭について「裸祭だということで奇祭のように言われているが、そんなものではない。日本人が大昔から、裸体でこそ、俗っぽい穢れを落せる、種々の内的外的罪障をはらい落した身体になれるのだと信じて来た、一般的信仰の古態を示すものに過ぎない」(P.4)という和歌森 太郎氏の文章も載っている。
蘇民祭の蘇民は蘇民将来(そみんしょうらい)という人名から来ているが、本書のP.13にも載っている備後国風土記に記されている。私は以前、「風土記」(日本古典文学大系2)(岩波書店刊)で読んだことがあった。兄弟で登場するが兄の名前だ。
黒石寺のホームページにも説明がある。
末武氏は本書の中で、「遠く西域に発した牛頭天王、蘇民将来信仰は、仏教,陰陽道によって修飾され多彩となり、山伏修験たちの媒介により民俗行事として深く人々のなかに定着していったのである。」(P.88)と書いている。
ちなみに、「西域」(せいいき)(サイイキとも)は広辞苑(岩波書店)では、中国の西方諸国を中国人が呼んだ汎称(後半は略)と説明されている。
海の向こうのはるか遠くの地から、古い時代にもたらされた事柄や信仰が、日本の地に根づいていったようだ。
ただ、浅学で了見が狭い私は、正直なところ、蘇民祭の歴史や背景などにさほど関心を寄せることができず、もっぱら祭りの渦中の男たちの裸身に吸い寄せられるばかりだ。
私に似て、蘇民祭の男たちの裸に引き付けられたことがきっかけで、黒石寺以外でも行われている他の蘇民祭や近似した祭りなども含め、由来や実態その他を広い視野の中で捉える研究者が出現すればいいのになと勝手ながら思う。
(もしかすると、私が知らないだけで、すでに存在しているのかもしれないが・・・)

本書を読んでいて、「えっ」と意外な感を覚えたことがある。フランスの作家ジャン・ジュネ(1910~1986)の言葉が、二度引用されていたことだ。れっきとした同性愛作家ジュネの言葉が・・・。
「もはや伝統は存在しない。なぜなら自然が死んだからである。なぜ自然が死んだか。超自然が死んだからである。」(P.17)
「明治維新以後、蘇民将来の信仰が急速に衰え姿を消していったのは、明治政府のこのような山伏修験を廃絶しようという姿勢によるものであった。それはまた、近世から現代への時の流れというべきであろう。かくてジャン・ジュネのいうように、超自然は死んだのである。」(P.89)
私はジャン・ジュネ全集全四巻(新潮社刊)を所持している。改めて読み直した訳ではないが、この全集の中には載っていない言葉だろうと思う。この全集は1967年5月から1968年2月にかけて刊行された。恐らくそれ以降、ジュネが評論か講演などで言った言葉ではないかと私は推測する。
ジュネの言葉を自著の中で引用する末武氏なら、自著を私のような観点から読み取り上げることも、苦笑しつつも寛大に受け止めてくれるのではないか・・・。
写真家の佐々木氏も、苦々しさは覚えつつも、こうした見方もあるのかと大様に捉えてくれるのではないか・・・。
と、私は自身につごうよく考える。
末武氏は現在何歳だろうか。本書の著者略歴には生年は書かれていない。インターネットで検索したが、生年は見つからなかった。
佐々木氏は、上に記したが、昭和10年生まれ。現在は83歳か。
二人とも健在だろうか。

黒石寺の蘇民祭は、当寺のホームページによれば、旧正月(旧暦の1月・・・荻崎注)七日夜半から八日早暁にかけて行われる。新暦の現在では、行われる日はその年によって異なるようだが、2月に行われることが多いようだ。

ちなみに、「黒石寺」の読み方について。
当寺の英文のホームページには、
「Kokuseki-ji」と表記されている。「こくせきじ」だ。「こくせきじ」が正式なのだろう。
ただ、本書に載っている座談会の出席者の一人の方が、「寺の名前はコクセキジといっているが、本当はクロイシテ゛ラだろうね」(P.23)と発言している。
私ももう何年か以前、この寺の名前を初めて目にしたときは、「くろいしでら」と素朴に(!)読んだ。
これも黒石寺のホームページによると、黒石寺は、岩手県奥州市水沢区黒石町にあるのだが、「黒石町」は英文のページでは、「Kuroishi-cho」と表記されている。
おそらく地元では、黒石寺は音読みと訓読みの両方の言い方が使われているのではと私は推測する。
私は実際に黒石寺の蘇民祭を見たことも、当地を訪れたことも一度もない。今後、果たして足を運ぶことがあるかどうか、分からない・・・。

本書の巻末に、参考文献として矢頭保の『裸祭り』が『裸祭』として載っているが、「矢頭」が「矢野」と誤植されていることに気づいた。

久し振りの更新。長くなってしまった。読んでいただいた方、多謝。
また尻か、代り映えがしないな、という声が聞こえてきそうですが・・・。
(その2)(その3)と、あと2回書く予定です。

(2018.11.23)























































































































アートに欲情しよう!(拾遺)

(その12) 弾人(だんと)の巻の補遺
画像もう7年以上前になるが、当ブログ「アートに欲情しよう! (その12)弾人の巻」で、漫画家 弾人(だんと)が「薔薇族」(第二書房刊)に、2001年から2004年にかけて掲載した全27作品の一覧を載せた。
今年(2018年)5月、「焦者」氏から、薔薇族2001年9月号に、この一覧には載っていない「嗅ぐ男」という作品が掲載されていることを教えていただいた。
(当ブログ「男の尻の果ての、この世の果ての、更に向こう (その3)(最終回) ひしひし舐めた果てに、とろりと、越える」のコメント欄を参照してください)
この号は、私(荻崎)は所持していなかったので、教えていただいてから数日後、国会図書館に行き、コピーした。(本作の地は無地の肌色だったが、料金も考えて、白黒でコピーした)(!)
本作は、「嗅ぐ男」というタイトルが表しているように、嗅(か)ぐこと((嗅覚)(きゅうかく)や匂い)が関わった内容になっている。主人公の男(会社員)は、取り分け、男たちの脇の下などの汗の匂いに欲情を掻き立てられるという設定だ。通勤電車内や駅のトイレの中が作品の舞台になっている。
左上段の画像は、主人公が清掃員の男と駅のトイレの個室の中で、思いを遂げる場面だ。作品全体を通し、主人公の欲望の有り様(よう)が、端的に、率直に描かれていて、共感を覚える。
「脇の下・・・あんたの匂い・・・嗅がせてほしい!・・・ああ!この匂い!!あんたの匂い・・・さがしてた匂いだ・・・これだよ これ!いちばん好きな匂いだよっ!」などのせりふがある。(画像の中のせりふは、文字が小さいこともあり、読みにくいかもしれませんが、参考にしてください)

 本作が匂いに関わっていることに触発されて、弾人作品全体の中で、こうした事柄が扱われている作が他(ほか)にもあるかどうか、改めて、他の27作品を久し振りに再読した。そうした側面に特に注目して、私がこれまで弾人作品を読んだことは、多分なかった気がする。
(下欄に「嗅ぐ男」も含めた、新たな弾人作品一覧を載せたので、参照してください。上記当ブログ(その12)「弾人の巻」で載せた作品番号の4以下が一つずつ繰り下がっています)

《弾人作品一覧》(掲載誌はすべて「薔薇族」)

1・・・「残業痴態」             340号(2001<平成13>年5月号)
2・・・「銭湯欲情」             341号(2001年6月号)
3・・・「見られてる!」          342号(2001年7月号)
4・・・「嗅ぐ男」            344号(2001年9月号)
5・・・「指人狂(ゆびにんきょう)」       346号(2001年11月号)
6・・・「手淫口淫(てみだらくちみだら)」    347号(2001年12月号)
7・・・「連穴乱奴(れんけつらんど)」        348号(2002<平成14>年1月号)
8・・・「晒し者(さらしもの)」          349号(2002年2月号)
9・・・「夜泣き竿(よなきざお)」          350号(2002年3月号)
10・・・「乱恥奇!バイブ遊戯」          352号(2002年5月号)
11・・・「魔羅探り穴探り(まらさぐりあなさぐり)」  354号(2002年7月号)
12・・・「独り焦らし(ひとりじらし)」       356号(2002年9月号)
13・・・「舌這わせ(したはわせ)」        358号(2002年11月号)
14・・・「疼くところに手が届く」         359号(2002年12月号)
15・・・「男体虜肛(だんたいりょこう)」     361号(2003<平成15>年2月号)
16・・・「戯兄弟(ぎきょうだい)(其の一)」    363号(2003年4月号)
17・・・「戯兄弟(ぎきょうだい)(其の二)」    365号(2003年6月号)
18・・・「戯兄弟(ぎきょうだい)(其の三)」    366号(2003年7月号)
19・・・「戯兄弟(ぎきょうだい)(其の四)」   367号(2003年8月号)
20・・・「戯兄弟(ぎきょうだい)(其の五)」    369号(2003年10月号)
21・・・「戯兄弟(ぎきょうだい)(其の六)」     370号(2003年11月号)
22・・・「戯兄弟(ぎきょうだい)(其の七)」     371号(2003年12月号)
23・・・「突貫!工児(とっかんこうじ)」     373号(2004<平成16>年2月号)
24・・・「男・咲乱(おとこ・さくらん)」     375号(2004年4月号)
25・・・「裸専階段(らせんかいだん)」     377号(2004年6月号)
26・・・「裸証文(らしょうもん)」     378号(2004年7月号)
27・・・「男吠え(おとこぼえ)」     380号(2004年9月号)
28・・・「男汁祭り(だんじるまつり)」     381号(2004年10月号)

改めて読んだところ、「嗅ぐ男」以外には、次の三作品が、匂いに関わりがあるようだ。(全体的には、28作中で4作、14%強。特に多いとも、逆に少ないとも、言えないのかどうか)
13・・・「舌這わせ(したはわせ)」    
14・・・「疼くところに手が届く」        
25・・・「裸専階段(らせんかいだん)」 
  
画像左二段目の画像は、作品13の中の一場面。「ああ・・・源ちゃんの体・・・汗・・・ポマードの臭い・・・」
主人公が、少年の頃に交合した「源一おじさん」の匂いの記憶とともに、彼との過去を思い起こす場面。








画像左三段目の画像は、作品14の一場面。「ああ・・・やっぱり 大工さんの臭いはたまんねえなあ・・・」などのせりふがある。便利屋の若者が、けがをした大工の男と交合する場面だ。画像として載せてはいないが、他の場面には、「そうかあ・・・気持ちイイんだ チンポしゃぶられて でも・・・少し汗臭いスよ 無理もないか・・・こんな体じゃ 風呂も入れなかったでしょうしね」などのせりふもある。





画像左四段目の画像は、作品25の一場面。「小便臭えチンポ 大好物でな」というせりふがある。会社員の男(主人公)が、その会社に近いハッテン場風な場所(彼は知らなかった)にいた若い男と交合する場面。








画像左五段目の画像は、四段目と同じ作品25の一場面だ。匂いに関わるせりふは特には使われていないが、会社員の男の尻(左上の尻は、丸みがやや強調され過ぎた感があるが・・・。この量感で全体的にもう少し四角ぽければ、私には更に理想的だが)と、取り分け一番下右の彼の顔が私のぴたり好みなので載せた(!)。男ぽく、しかもかわいげと愛嬌がある。
上記 「(その12)弾人の巻」の一番最初の画像には、同じこの会社員の尻(横向き)が更に大きくエロく描かれている。ともあれ、彼は顔も尻も、まず申し分なく私の好み中の好みの男の一人だということが、今回改めて分かった(!)。
作品の筋(すじ)自体は、割りにシンプルであっさりしている分、作者は主役の男の顔や尻などにじっくり筆力を注ぐことができたのかもしれない・・・。

上記「嗅ぐ男」を読んだことがきっかけになり、匂いや嗅覚(きゅうかく)が、私自身の長い歳月に渡る男たちとの交合の中で、どのような働きや作用をしてきたのか、大雑把ながら、改めて考えてみた。
私ははるか昔の十代の頃から、自分は、やや極端なくらい、視覚型の人間だと考えてきた。目で見た、捉えた、人や物の形、色合い,印象、関係などから圧倒的に多くの影響や情報、判断、認識などを得てきたと思う。
逆に捉えると、ものの匂いなどの嗅覚や、音声などの聴覚に対しては(「言葉」については別にして)、さほど敏感ではなく、視覚的なものほどは関心が持てないとずっと考えてきた。
ただ、現に男たちと交合している中で、様々な「匂い」が関わったり、それが記憶に残ったりすることは、決して少なくはないと改めて思う。視覚的に捉えたものを補ったり、味わいや奥行きをより濃くしたり深めたりなどの働きもしているのではと感じる。
視点がややそれるが、肌触りや舌触りなどの触覚や味覚は、とりわけ男たちとの交合のさなか、時には視覚に匹敵し、場合によっては、それを越えるほどの大きな役目を果たすこともあると私は感じる。

ともあれ、私自身高齢の度をますます加えていく中で、一回一回のかけがえのない男たちの交合(情交)に際して、視覚以外の、匂い、音声、肌触りや舌触りなどにも、今まで以上に感覚を鋭利にしようと、改めて思う。(時には、相手や状況次第では(!)、そうした五感のいくつかをのんびり休めることも含め・・・)

 ちなみに、上記「アートに欲情しよう! (その12)弾人の巻」のコメント欄にも、以前、記したが、弾人と竹本小太郎氏が同一人物であることは、私自身了解している。竹本小太郎氏の名による幾つかの作品を、かつて確か同じ「薔薇族」誌上で読んだ記憶がある。
しっとりした情感が作品全体に流れているという印象は持ったものの、正直、弾人作品のように惹(ひ)かれることはなかった。
仮に今改めて読んだ時、どんな印象(感想)を持つかは不明だが・・・。

また、上記28作品以外の弾人作品を知っている方がいましたら、お知らせいただけたらうれしく思います。

(2018.8.8)(台風が近づく中で)






































 

NHK番組 ETV特集「Love ~性的マイノリティーの戦後史~」について

ETV特集「Love ~性的マイノリティーの戦後史~」
上記の番組が、NHK・Eテレで、全国放送されます。

放送予定日は2018年6月16日(土) 23時00分~23時59分
再放送予定日が、同じくEテレで、2018年6月21日(木) 00時00分~00時59分

今回の番組は、今年の3月7日(水)に、NHK BSプレミアムで全国放送された「そして ゛カワイイ"が生まれた~内藤ルネ 光と影~」の場合と異なり、私自身、DVDなどで前もって番組の内容を知っているという形ではありませんので、中味についてはほとんど分かりません。
ただ、当番組のディレクターの方から伺(うかが)った話では、この5月に行われた、「東京レインボーブライド 2018 パレード」や南 定四郎氏などを取材し、また、新宿二丁目でオカマルトというブックカフェを開いているマーガレット(小倉東)氏も出演するということです。
上記オカマルトの6月9日付けツイッターに、この番組が紹介されています。(NHKのこの番組についての記事もあります)

番組の最後か、あるいは途中か、「提供:荻崎正広」と私の名前も流れるようです。(宣伝です)(!)

前回の内藤ルネを主題にした番組とはまた異なった、広範囲な視点から、性的マイノリティ―に光が当てられるのではないかと、私もこの番組を見るのが楽しみです。

画像この6月9日(土)、松坂屋上野店で、「Roots of Kawaii 内藤ルネ展 ~たくさんの愛と夢をこめて~」を見た。
内藤ルネ展は今回も含めもう何度か見たことになるが、内藤ルネ(1932~2007)の幅の広さと奥行きを改めて感じ取ることができた。
左の画像は、「愛しのペーパードール インクジェット出力 2017年(原本 1960~70年代)(復刻原画)」と記された作品。
左から二番目の少年が、愛嬌があって、かわいい(!)。
(これは写真撮影が可能な作品だった)
また、「薔薇族」の表紙原画が確か5点展示されていた。(このコーナーは撮影不許可だったが)
(本展覧会用の図録やパンフレットなどはなかったために、作品その他を後で確認することはできないが)

別の機会に、これまでとは別の視点も含め、改めて当ブログで、内藤ルネについて記述したいと思う。

(2018.6.11)




男の尻の果ての、この世の果ての、更に向こう

(その3)(最終回) ひしひし舐めた果てに、とろりと、越える
画像私(荻崎)が、もう何年か以前から、顔に惹かれ、尻の形に惹かれ、総身に惹かれる男二人の画像(全5点)を載せた。ゲイ雑誌に掲載され、私が目にした、生身の男たちを撮った数多くの画像の中で、今の私が、最も強く丸ごと引き付けられる男の双璧だ。(男根が確かめられないことは(当然だが)(!)、ほとんど支障にならない)。
顔にしろ、尻にしろ、体にしろ、部分に限れば、もっと強く引き付けられる男もいたかもしれないが、一人の男全体として捉えた時、私にはやはりこの二人が抜きん出ている。
画像
 上から一段目と二段目の画像は、ともに「バディ」(1998年6月号)(テラ出版刊)に載るものだ。「Passio」と題された全4点の中の2点。(Mitsuru.T氏撮影)
(一段目の画像は、私が7年ほど以前に当ブログに載せた、『「風俗奇譚」の中の円谷順一  (その2)』で、一度用いています。参照していただけたらと思います)
 正面からの顔と、真後ろからの更に欲を言えば、四つ這いで突き上げた尻の形はわからないものの(!)、しなやかで弾(はじ)き返しそうなほど引き締まった総身と、清々(すがすが)しい顔立ちはたっぷり伝わってくる。その顔立ちと総身に、何から由来するのか、静やかで不思議な透明感を私は覚える。
尻であれ、男根であれ、胸であれ、太股(もも)であれ、どこであれ、一度でも味わえたとしたら、彼の総身の深部から滾々(こんこん)と湧く、澄み切った蕩(とろ)けから離れたくなくなるだろう。
現在72歳の私が、年々更に高齢の度を加え、80歳を越え、90歳を過ぎ、100歳を渡り、更に、また更にその先へ・・・、私は彼一個の顔と体だけで心底(しんそこ)蕩け続けた果てに、なにかしらをとろりと越え、真っ新(さら)な未知の沃野(よくや)にするりと横たわっている・・・。直後、同じく真っ新(さら)で十全な無に移行することも一点の曇りもなく分かっている・・・。

と、その舌の根も乾かぬうちに、この自分のことだから、10回、15回と、彼の顔と体を堪能し、丸ごと惑溺(わくでき)しているうちに、一方で、じわじわ飽きが芽生え、それが広がり、他の新しい顔と体も物色するだろうこともよく見えている。彼の体を欲しがりつつ、一方で他の男の顔と体にも有り付く中で、これまで70年以上かけてもまだ感得したことのない、一段と蕩けられる地にたどり着く・・・。

彼が現実におまえの相手になど一度であれなる訳がない、妄念や我執の中に勝手に彼を引きずり込むな、という醒(さ)めた正当な声は、少なくとも今は、図々(ずうずう)しくも遠くに置こう。もう少しだけ、馴染(なじ)んだ妄想に浸(ひた)らせてもらうために。

上記「バディ」に掲載されてから20年ほど経った今、彼は何歳に達しただろう。どこでどのように日々を過ごしているのだろう。健在であってほしいと切に思う。

画像
三段目の画像は、「ジーメン」(2007年7月号)(古川書房刊)(和義人氏撮影)、四段目は「SUPER SM-Z」(2007年、夏)(和義人氏撮影)、五段目は「さぶ」(2000年2月号 創刊300号大記念号)(サン出版刊)(岩上大悟氏撮影)に載るものだ。
三段目と四段目はモデル 正三、五段目はモデル マサノブと表記されているが、同一人物だ。
三段目の画像に付して、年齢が29歳と表記されている。2018年現在では40歳ということになるだろうか。渋い色気が、一段と増しているに違いない。
画像
私は上記五段目の「さぶ」誌上で、初めて(恐らく)見た時から、彼に強く惹かれていた。静まった男っぽい色気の中にどこかしら質朴さがあった。上記「ジーメン」、「SUPER SM-Z」の紙面で見る彼は、それらに加え一段と艶やかさが増している。
恐らく普段から体を鍛えているのだろう、総身の筋肉がどこをとってもきりりと程よく引き締まっている。褌も四肢によく映えている。
三段目の画像の縦褌(たてみつ)をぐいとずらし、両手でl両の尻たぶを存分に開画像き、現れた尻の芯に、両膝を突いたままいつまでも舌を押し当て、芯の奥の奥まで舌先を潜り込ませたら、これまで70年を越えて生きてきた私が、まだ目にし口にしたことのない蕩(とろ)ける光景と味わいが、この世の境域さえらくらく越え、果てもなく広がるだろう。
 上記「Passio」の彼の場合と同様、正三氏が、おまえなど一度であれ相手にする訳がないという至極(しごく)正当な声は、とりあえず、聞こえないことにしよう(!)。

(「荻崎正広コレクション ゲイ・アートの家」のHPでは彼の画像を1点載せています。(岩上大悟氏撮影)。また、館内には、同氏が撮影した正三(マサノブ)氏の写真を2点展示しています。御覧いただけたらと思います)

 私は10代も初めの頃からか、自身が何かしらこの世と一枚透明な幕を隔てて生きている、どこかしら亡霊めいて、確かな現実感が持てないという思いから離れられなかった。その感覚は、私が同じ性の男の体に心底(しんそこ)引き付けられる、好みの男の体が欲しくて欲しくて仕方がない、というごまかしようのない自身の有り様とぴたり裏腹な関係だと、少年なりに分かっていた。
それほど欲しくて仕方がない男の体を、相当長い年月、自身に味わわせてやることができなかった。渇(かわ)きに渇くしかなかった。
そうした自分自身に対して、途轍もない量の借りを作った。20代も後半に入る頃から、ほんの少しずつであれ借りを返せるようになったはずが、男の体への渇きは吹き荒れるばかりだった。
一生かけても借りを返すしかないと考えた。
70歳を過ぎた今でも、到底返してない。80歳、90歳、100歳を越えても、返し切ることはできないかもしれない。第一、いくらこちらが思い焦がれても、90歳、100歳の私に、たといいやいやながらでも、体を差し出してくれる相手がいるかどうか・・・。
とにもかくにも、好みの男の顔と体に有り付くために、ハッテンサウナを始めとする出合いの場に、この先、時に今より一段と輪を掛けて、足を運び続けるだろう自身の姿だけはありありと見える。
(実際の出合いの場で、折角の男に有り付いている際、上記の「借りを返す」という想念が私の頭の一角を過ったりすることは、この先もさほどないだろうとは思うものの・・・)

当然ながら、実際の私の寿命は、少なくとも今の私には、皆目、分からない。80歳、90歳などと能天気に言えるどころか、ひょっとすると、数年のうちに終わるかもしれない。それはそれで、可能な限り潔(いさぎよ)く受け入れるしかないだろう。何歳で生が終結するにしろ、自身に生じた借りを少しでも返そうとして、生きている間、あがきにあがいて好みの男の体を欲しがり求め続けた、と自身を宥(なだ)め静めよう。

 上記「Passio」の彼と正三氏、もしも当ブログが目に留まったら、上記の私の妄言など一笑に付し(!)、「荻崎正広コレクション ゲイ・アートの家」に足を運んでいただけたらうれしく思います。
様々な展示品を目にすることで、自身を再発見するきっかけになるかもしれません。

(付記)
「週刊朝日」2018年3月9日増大号(朝日新聞出版刊)の中の、『「変わる死生観、「自然死」急増の予兆』という記事を読んだ。
この中で、石飛幸三氏が、「最期は「自然の麻酔」がかかる 延命治療にそろそろとどめを」という文章を書いている。「自然の麻酔」という言葉が取り分け印象に残った。
この号を入手しようと、書店を通して注文したものの、売り切れ、地元や都内の図書館に足を運んでも貸し出し中などで、なかなか手にすることができなかった。私以外にも興味を覚えた方が多かったのだろう。
数日前に、やっと地元の図書館でコピーすることができた。

「口から食べられない=寿命」 変わる死生観で「自然死」急増の予兆』などのタイトルで掲載されている、インターネット上の記事で私は最初に読んだ。(参考まで)

(2018.5.5)