アートに欲情しよう!

(その4) 栗浜陽三(くりはま・ようぞう)の巻
 栗浜陽三(1923(大正12)年~1985(昭和60)年 享年62歳)の名は、前回の(その3)で取り上げた神宮寺 拳と同様、現在ではあまり馴染みがないかもしれない。
写真集「渾遊」(こんゆう)(昭和48年9月 第二書房刊)の作者である。(表題の文字として、ふんどしの「褌」ではなく、大きいとかさかん(盛)の意味のある「渾」をあえて用いたと思われる)。
 表紙の次のページに「褌の詩」と入っているように、海辺や川、竹林や寺などを背景にし、六尺褌を締めた若い男たちの、締まった匂いやかな裸身がひしめく写真集だ。後書きで作者みずから「私のモデルたちは、みな六尺褌姿であるが、これほど端的に男の肉体の美しさを表現する衣服はないと思う」と書いているとおり、日本の男たちの体の艶やかさを引き出す衣としての褌、なかでも六尺褌に対する作者の愛着の念が濃く伝わってくる。
私にとって「渾遊」は、 これまでに刊行された男の裸を素材にした写真集の中で(私の知る範囲だが)、矢頭保(やとう・たもつ)の「裸祭り」(1969年2月 美術出版社刊)と共に双璧だ。
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 右手上段と中段の二点の写真は、「渾遊」に載っている同じ若者だ。私は「渾遊」の中でこの若者に最も強く惹かれる。清々(すがすが)しい顔も、締まって弾(はじ)くような総身も申し分ない。仮にこの若者が載っていなかったとしたら、「渾遊」を好ましく思う度合いは、かなり減じていたかもしれない(笑)。
 単に私が好ましく感じるだけでなく、作者の栗浜陽三も、多くのモデルの若者たちの中で、まず間違いなくこの若者が一番気に入っていたに違いない。
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 掲載されている点数の多さだけでなく、姿態(ポーズ)や背景も含め、抑えようとしても抑えきれない作者のこの若者に注ぐ欲望の濃さと強さが、明らかに作品の中に投射されていると私は感じる。写真に収められたことで、この若者と彼の放つエロスは共に時空の制約から解き放たれ、もう一つ別の次元のものとなって、半ば永遠化されたのかもしれない。
 一方また、男の体の中でことに尻に対する作者の格別の思いも、「渾遊」から明白に伝わってくる。右手中段の作品も尻が写されているが、例えばうつ伏せや、特にしゃがむことでよりくっきりとした形になった尻がかなり多く撮られている。六尺褌を締めることで、時に、男の尻はその形をよりむき出しに露わにするようだ。
 好みの男のタイプと尻に強く引かれるという二点で、私と栗浜陽三には共通性があるんだと、私は密かに思い込み、楽しんだりしている。とは言え、果たして作者はどうだったか、私は尻と同様、男根(形よく反った大振りなものなら尚のこと)にも強く引かれるが(笑)。
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 右手下段の写真は、雑誌「MLMW」(ムルム)(昭和53(1978)年3月号)(砦出版刊)の、「鞍馬の火祭」から取ったもの。この祭りは毎年10月22日に行われ、地元京都住まいの栗浜陽三はこの祭りを何度か見たようだ。同号には作者の撮った写真の他に文章も載っているが、この祭りに寄せる作者の一方ならぬ思いと哀感が流れていて、味わい深い文章だ。
 夜の抑えられた明かりの中で、外気とじかに触れ合う男たちの肌は、一段と艶と火照りを増していく・・・。衣装にも渋く凝った華やぎがある。
 ちなみに、私のコレクションに、写真家、東風終(こち・しゅん)氏の、2007年の同じ祭りを撮った一点があるが、似た情景を写していて、私の気に入った一点だ。未見のこの祭りを、私はぜひ一度目にしたい考えている。

 雑誌「薔薇族」の編集長伊藤文学氏が、2005.6.5付の氏のブログで書かれているが(氏からじかにも聞いたが)、栗浜陽三と、おもに少女たちを描く抒情画家として知られた藤井千秋(ふじい・ちあき)は同一人物である。一般的には後者として知られているだろう。
 上記の彼の生没年は、「夢見る昭和の乙女たち 抒情画家、藤井千秋の世界」(2001年4月 小学館刊)に載っている年譜に拠(よ)った。
 当のブログで伊藤氏も触れているが、2007年10月に亡くなった内藤ルネや彼の師でもあった中原淳一を含め、少女を描く抒情画家には、性的指向は実は男性に向かっているという場合がかなり多いようだ。欲望の対象ではないことで、生々しさから離れ、いい意味の絵空事として純化された彼女たちを描くことができたのだろうか。それが取り分け女性たちの人気を呼ぶのかもしれない。
 その一方で、自らの性の欲望に根ざして描きたいという欲求は、例えば栗浜陽三の場合は若い男たちの裸の写真へ、内藤ルネの場合は「薔薇族」の表紙へと解き放ったのだろう。ただ、禁欲的(ストイック)に見える栗浜陽三は、生身の男たちとの間で現実に性の欲望の交歓をどのくらいできただろうかと想像すると、何か痛々しい思いがする。単なる私の杞憂(きゆう)だったらいいのだが。
 
 「渾遊」には男たちの絡みの写真は一点もないが、これとは離れたところであからさまにエロティックな写真も撮ったのだろうか。また、表向きの少女たちの絵以外に、実は男たちの絡みの絵も描いていたのだろうか。もしもそうした作品が残されているのなら、私はぜひ見たい。そうした事情に通じている方はいないだろうか。

 「荻崎正広コレクション ゲイ・アートの家」では、栗浜陽三のオリジナルプリントは、残念ながら一点も所蔵していません。
 
 

 
 


 

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